名言info

宮内義彦の名言129件

とにかく勉強せよ。40代で気付いても手遅れになる。
挑戦しないで「しまった」と思うより、やってみて失敗したほうがいいのです。失敗は必ず次の成功のバネになるのです。失敗を取り戻して余りある、大胆で新しい発想につながっていくのです。
昨今、政治にリーダーシップがない、国のトップが悪い、という言葉をよく耳にします。私はそれは違うと思っています。世界からダメなんじゃないかと問われているのは彼らではない。日本の国民です。我々一人ひとりが、これからを問われているのです。
ほんの数十年前まで、この国では青年将校が決起したり、都市に爆弾が落ちてきた時代があった。それを考えれば、この状況で文句を言ってどうする。頑張らないでどうするというのが私の意見ですね。
私は会社を、「社会に対して最も効率的に経済価値を提供するための仕組み」だと捉えています。すべてのベースにあるのは社会であり、会社は社会という土台の上に乗るサブシステムにすぎません。それは、資本主義や資本市場についても同様です。
「ヒト・モノ・カネ」といった経営資源には限りがあり、できるだけ効率的に活用しなければなりません。その役割を担うのに、株式会社ほどふさわしい存在はありません。非効率でよければ誰がやってもいいわけで、経済的果実を効率的に社会に還元するからこそ会社というものの存在意義がある。この前提に立つと、赤字企業は社会的に不要ということになります。
日本の場合は何かを創出することより、組織の存続が目的化していないでしょうか。結果として、組織の存続を目指す官僚的な人が重用されています。企業を官僚組織のように考え、トップになる人を「innovator(革新者)」と考えず、「bureaucrat(官僚)」と見る。そして、組織の長に調整型、あるいは調和型の人材を選ぶ。その行き着く先は緩やかな衰退でしょう。
なぜイノベーティブな経営者が企業の中から出てこないのか。それはコーポレートガバナンス(企業統治)が機能していないからです。投資家や金融機関、社外取締役など外部のプレッシャーがないために、下から順繰りに上がる人事が増える。業績不振で退任する経営者が後継を指名するなど、日本の企業ぐらいのものでしょう。
「物言う株主」は企業や経営者にとっては目先はうるさい存在ですが、中長期的には企業の欠陥を補い、経営の失敗を未然に防止してくれるありがたい存在です。経営者に最も緊張感を与えるのは株主からの直接のプレッシャーです。それが経営効率を高め、官僚的な経営者を排除する契機になります。
物言う株主にはネガティブな見方も少なくありません。ただ、株主が経営改善や内部留保の還元を指摘するのは当然のこと。そのプレッシャーから逃げてはいけないのでしょう。日本は会社にプレッシャーをかける仕組みが少なすぎると思います。
オリックスは株式の大半を内外の機関投資家が所有しています。それはもう、ありとあらゆることを言ってきます。ただ、それによって気づかされることもありますし、厳しい株主と正対したことが経営者としての私を形作ったとも言えます。投資家の視線が企業と経営者を磨くのです。
投資家の満足度が高ければ、自由に経営ができます。経営のフリーハンドを得るためにも、投資家にきっちりと正対すべきです。
現在は指名委員会も報酬委員会も監査委員会もすべて社外取締役のみで構成されています。後継者を決めるのは指名委員会なので、私も出来が悪ければクビです(笑)。委員会等設置会社への移行は日本企業の中でも早かったと思います。
失敗の後のリカバリーは全力でさせますが、当社は加点主義なので、少々の失敗で評価を落とすことはありません。取り返しのつかない失敗はともかく、そうでなければ授業料の先払いと考えて再チャレンジを促した方がいい。授業料は既に払っているわけで、生かさないと大損です。
事業撤退の際は絶対に精鋭部隊に任せないといけません。「負け戦のしんがり」という言葉があるように、撤退時のしんがりは最も死傷率が高い場所。事業の撤退も難しい作業なので最強の部隊を充てるべきです。90年代前半の不動産バブル崩壊時には私が陣頭指揮を執り、士気を高く保ちながら処理をしてきました。
未踏の分野に進出する際はマイナー出資にとどめ、そろりと始めることにしています。マイナー出資であればリスクも限定的ですし、撤退も比較的容易です。その間にマーケットを勉強してうまく事業化できそうだと判断できれば、タイミングを見て一気呵成に展開すればいい。
当社の場合、営業の成果目標を「前期並み」という設定にはしませんから、毎年数字を伸ばしていかなければなりません。ただ、過去の資産から生じる収益はカウントしないので、常に新しいことにチャレンジしないと目標のクリアは困難です。自分たちで取り得るリスクを考えながら新しい分野に挑戦する。結果として、飛び地ではなく隣地の開拓になっていくわけです。
我々のような金融サービス業と製造業は時間軸が異なります。ただ、顧客の嗜好が多様化し、商品やサービスの寿命がどんどん短くなっていることを考えれば、「今日1日が新しい日」という考え方は業界によらず必要になるのではないでしょうか。
私には「オリックスをこうしたい」というような、目指している最終形はありません。あえて言えば、今日よりいい会社にしたい。だから、10年後のオリックスは全く違うビジネスを展開しているかもしれません。
今でもリースや融資、生保などの金融事業の収益が大きいことには変わりありませんが、最近では自らが事業運営を手がけるケースも増えています。時代の変化への対応もありますが、「できるものは自分でやってみる」というカルチャーの表れでしょう。
1980年代前半の海運不況で船舶のリース事業が大打撃を受けたことがあります。リース料が回収できずに不良債権化し、ほかの金融機関が船を売却処分していく中で、私は「売るな、自分で船を動かせ」と指示しました。同時に、今で言う減損処理にも踏み切っています。海運市況は不動産と比べて好不況のサイクルが短いので、数年我慢すれば再び戻る。その間は所有しながら船の運航管理のノウハウを蓄積し、市況が戻った時に船を売却すればいいと思ったのです。減損処理をした以上、後はアップサイドしかありませんから。一般的には、思い切って損切りして終わりにするのでしょう。ただ、それだけでは後に何のノウハウも残らない。簡単に諦めてはいけません。
多様な事業ポートフォリオは金融危機時にも生きました。リーマンショックでは世界の資本市場が機能不全に陥りました。当社もコマーシャルペーパーや社債が一時的に発行できなくなり、資金調達で苦戦を強いられました。ただ、大波に翻弄されましたが、決して沈没することはなかった。事業ポートフォリオのバランスが取れていたからだと思います。
各事業の計数は厳しく管理していますが、私は個々の事業の「最終利益」を最重要視しています。自動車事業のように台数の増加が重要な分野もありますが、売上高には基本的に興味がありません。それ以外に重視している指標は、「ROE(自己資本利益率)」と「格付け」、「利益成長率」。この4つを見ながら計器飛行しています。
欧米のように、人材を経営資源の1つとして捉え、いくらでも代替可能と考える企業ばかりだと、その集合体である社会は間違いなく冷たいものになるでしょう。私はそんな社会がいい社会だとは思えません。
日本型経営が作り上げた「人材を大切にする」という風土は世界に誇るべきものです。ただ、その思想は素晴らしいのに、結果が伴っていません。「計数面では欧米企業に劣るけれど、日本的経営は素晴らしい」と叫んだところで、引かれ者の小唄にすぎません。いいところを残しながら、欧米企業に負けているところを近づける。人を大切にしながら、欧米企業並みに効率を高めていく。それができて初めて、いい経営をしていると世界に胸を張って言えるのではないでしょうか。
社外の方々にどう映っているのか分かりませんが、オリックスは極めてウエットな会社です。基本的に人員削減はしませんし、力を発揮できていない社員がいれば、最善の職場をできる限り一緒に考えます。社員に様々な選択肢を提供するために、事業を多角化してきたという面もあります。
チームプレーは組織で動くということですが、タコツボ化した組織は組織図で動く。本来は情報共有すべき隣の課がライバルになってしまう。
大阪本社を束ねるグループ関西代表に評価の権限を与えました。権限は出身元の所属長と関西代表で半々です。大阪本社は1つの拠点に各グループ会社の人材が集まっているのですが、古巣ばかりを見て横の連携が進みませんでした。そこで人事権を与えたんです。「タコツボから出ろ。隣と手をつなげ」といくら言っても、人事権がないと言うことを聞きませんから。
オリックスも縦割り打破に試行錯誤を繰り返しています。組織は放っておくと、縦割りが進みタコツボ化するもの。それを防いでチームプレーのカルチャーを根づかせるには、最善の組織を日々模索するとともに、リーダーがしつこいくらいに言い続けないとダメです。
どの事業にも共通することですが、経営のポイントは流れに乗っているかどうかを見極め、分岐点を見誤らないようにすることです。常に変わる流れを見て、流れに乗っていれば外れないように舵を取り、流れから外れていれば乗るための方策を考える。それが経営者の役割です。
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宮内 義彦(みやうち よしひこ、1935年9月13日 - )は、兵庫県神戸市出身、昭和後期から平成期(1980年代~)の実業家。オリックス (企業) オリックス株式会社取締役兼代表執行役会長・グループ最高経営責任者 CEO。プロ野球オリックス・バファローズのオーナーも務める。 関西学院中学部・高等部を経て、関西学院大学商学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに所属する。1958年に同校を卒業し渡米。ワシントン大学 (UW) ワシントン大学大学院でMBAを取得。1960年に帰国し、双日 日綿實業に入社。1964年、日綿が三和銀行と共にオリエント・リースを設立すると、その旗揚げメンバーとして移籍。1980年、2代目社長の乾恒雄の後任として代表取締役社長に就任。2000年、同会長(2003年の委員会等設置会社移行に伴い取締役兼代表執行役会長)に就く。規制改革・民間開放推進会議議長。
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