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樋口武男の名言80件

私の人格形成に大きく影響したのは祖母です。祖母は3つのことを教えてくれましたが、特に叩き込まれたのが「嘘とごまかしはダメ」だということです。あと2つの教えは「人に迷惑をかけるな」「戦ったら、必ず勝て」ということです。今でも、祖母の教えは私の心棒(しんぼう)です。
就職活動では「大きな会社」「中くらいの会社」「小さな会社」の3社を受けました。大きい会社は本田技研工業、小さな会社は鉄鋼商社です。おかげさまですべて合格でしたが、一番小さな鉄鋼商社に入社しました。起業を志していたため、実学の中で会社についてを学びたかったのです。入社後は、会社で流れる伝票すべてに目を通し、この伝票が何のために使われているのか、どう処理されるのかを先輩から教えてもらいました。さらに商用手紙とはどう書くべきかなど、本ではなく実践によって仕事を学びとりました。
社会に出て初めて就職した小さな鉄鋼商社は、2年4カ月で退職しました。「若いころの苦労は買ってでもしろ」と言いますが、労働時間が短くて給料がよすぎたのです。このままぬるま湯のような職場にいたのでは独立したときに頑張ることができないと考えました。そして転職先を、「モーレツ会社」という見出しで週刊誌に取り上げられていた大和ハウスエ業に決めていました。
雪だるまは、一定の固まりになると足で蹴飛ばしても大きくなりますが、最初につくるのは面倒です。会社も同じで、基盤をつくった創業者の功績ははかり知れません。私は今、売上1兆8000億の会社を経営しています。それは創業者が基盤をつくってくださったおかげです。
親孝行な人は常に好感を持たれるようです。両親に感謝していない人に、立派になった人はいません。親子で会社を引き継ぐ場合も同様です。
会社は公器であることを忘れてはなりません。公人としての姿勢を保つには、経営者に私利私欲があってはなりません。
私はサラリーマンでしたけれど、サラリーマンのような気持ちで仕事をしたことはありません。常に「創業者の名代(みょうだい)」として仕事をしてきたつもりです。そして今の私の使命は、創業者なきあとの一番バッターとして会社を守り、次の世代へ引き継ぐことです。
運は勝手についてきませんが、特別な才能もいりません。「口」に「+(プラス)」と書いて「叶う」と読みますが、ポジティブな言葉を発するといい。そして私の祖母の教えのように、嘘とごまかしなく、人様に迷惑をかけることなく、堂々と生きればよいと思います。
言葉に説得力を持たせるには、率先垂範の姿勢が不可欠である。山口支店長だったころの私には、部下の2倍は仕事をしているという自負があった。私が率先して支店の業績を上げようとしていることは、誰の目にも明らかだったはずだ。もしその裏付けがなかったら、部下との「徹底対話作戦」は意味をなさなかっただろう。
事業の選択と集中が間違いだとは思いません。事業を特化することで成功する成功するところもあるでしょう。しかし、私は創業者(石橋信夫氏)から「創業100周年のときに売上高10兆円を達成してくれ。それが俺の夢だ」と言われ、これが中長期の経営目標となっています。現在は2兆円にも届いておらず、日本の人口が減少している中、住宅産業だけで10兆円は達成できません。そのためには、新しい商品づくりが欠かせません。
ロボットスーツ開発メーカーのサイバーダインを設立した山海嘉之教授にお会いしたとき、「何のためにロボットスーツの事業をしているのですか」と尋ねたところ、「世の中の多くの人に役立てればいいと考えました」と答えられました。事業に対する考え方が我々と同じで、かつ同社の技術が有望なこともあり、それなら支援しましょうと出資を決めました。
大和ハウスには「アスフカケツノ(明日不可欠の)」という参入事業のキーワードがあります。これは私が考えた造語です。もともとはフ(福祉)、カ(環境)、ケ(健康)、ツ(通信)でしたが、21世紀を前にしてア(安全・安心)、ス(スピード)を加えました。さらに今世紀に入ってからノ(農業)をつけました。最初はバラバラだったそれぞれの事業が結びつきはじめました。世の中のニーズがあるところを間違わずに事業をしていたら、いつの間にか大きく育とうとしています。
以前、トヨタ自動車の奥田碩元会長から「大和ハウスは何屋さんを目指しているのか」と尋ねられたことがあります。「これからの世の中に必要なものは何かを考え、いち早く取り組んでいます」と答えたら、「それにしても早いな」と言われました。私は「中小・ベンチャー企業はスピードが命ですから」と話しました。
当社は知恵で立ちあがった会社です。1850年のジェーン台風のあと、木が倒され、家が流された被災地を見た創業者が、ふと稲穂が台風に倒されずに立っているのを見つけました。これを折ってみると、中は空洞です。竹も同じでした。「円くて空洞なものは強い」ということに気づき、パイプハウス事業を始めたのです。
家に帰っても自分の部屋がなくて勉強ができない子供が大勢いました。そこで、わずか3時間で出来上がる簡易型家屋「ミゼットハウス」を開発・発売したところ、爆発的に売れました。これは現場からもらった知恵です。
これまで住宅業界からいくつもの吸収合併の話をもらいましたが、建設業界と同じく、この業界はM&Aによる再編が起きにくいでしょう。吸収した企業が過去に建てた住宅の保証を、すべて引き継ぐ必要があるからです。そう考えると、メリットは小さく、私は住宅メーカーのM&Aには積極的ではありません。やはり、市場が伸びないなかでも知恵を絞り続けるしかないでしょう。
健康であれば仕事を継続しようと思っています、80歳まではね。そう考えるようになったのは、健康だからです。そもそも創業者から「75歳まではやってくれ」と言われたのですが、それは元気でやれる間はやってくれという意味ですから。ただし、創業者は81歳で亡くなっており、さすがにその歳を超えてまで取締役を続けるのは控えようかなと思っています。どうしても残ってくれと周りから言われれば、第一線からは完全に引いた形で社友などとして関与することはあり得ます。
社長に就任してまだ2年足らずだった私は、ある大きな決断を下しました。それは、大和ハウスグループが抱えていた負の遺産を一括して整理することでした。損失を数年にわたって少しずつ計上すれば、決算上は黒字を保つことも可能でした。ですが、黒字の額が少ない状態が何年も続くと、社員のやる気をそいでしまう。そう考えて、あえて赤字決算に踏み切りました。
現場の社員とのコミュニケーションを密にするために設けたのが、社内のイントラネットを通じて、会社の問題点や営業のアイデアなどを私に直接意見できる「提案BOX」です。社員に実名での投稿を求める代わりに、提案者の秘密は厳守しました。そこで挙がったアイデアを、その後の経営に生かしていったのです。
特殊な技術や才能が必要な部分は、それなりの研鑽を積んで専門的に仕事をしないといけません。ですが事務や営業などの仕事をする場合、人間の能力による差は、それほどないと考えています。大きいのはその人のやる気の差です。ですから、やる気になって努力してもらうためにどういうふうにしていったらいいか、ということを考えればいいのです。
最近はインターネットの普及などで非常に便利な世の中になりました。ですが、こうした技術がいくら発達しても、技術はモノをいうわけではないし、相手の心を動かせるわけでもありません。あくまでも一つの道具です仕事をするのは結局のところ人。人を育てるのが一番大事です。
なぜ私がスローガンによる戦略の浸透に心を砕いてきたのでしょうか。それは役職が上がるにつれて部下の数が増え、より効率的な方法を求められたのがきっかけです。私の考え方をどう効果的に浸透させたらいいのか。移動中の列車の中で、手帳に対策を書くうちにひらめいたのが、簡潔なスローガンにして発信することだったのです。
一年かかっていた工期を4カ月に短縮できれば、1年で資本を3回転できるので、利益も3倍になります。あるいは、せっかくいい土地を見つけても、購入の決裁に2週間もかけていたら、他社に買われてしまいかねませんが、その場で決断すれば、そんな心配は無用。このように、会社の発展のためにも、スピードは必要不可欠なのです。
17年続いていた事業部制を廃して支店制にしました。支店長が稟議書を書き、それが事業部を回って、最後に社長決裁では時間も手間もかかりすぎて、スピーディーな経営などできるわけがないではありませんか。それで「社長→支店長→最前線」という形にし、さらに、支店長には建築5事業(戸建て、賃貸アパート、流通店舗、建築、マンション)に関する決裁権と、支店内の人事権を与えました。上の判断を仰がなくても、自分で決めて果敢に行動せよというわけです。その代わり、給料は年俸制で、赤字を出せば支店長のボーナスはゼロです。
研究職などを除けば、会社の仕事のほとんどは、特殊な技術などなくてもできるものばかりです。また、人によって脳のつくりに、それほど違いがあるわけでもありません。それなのに、仕事が速い人と遅い人がいるのはなぜか。それは意欲の差です。やる気があって能動的に取り組む人は仕事が速い。逆に、上司から命じられたので仕方なくやるという態度では、能率が上がらないのも当たり前でしょう。
大学時代、母が自分の着物を質入れする姿を目にしたとき、このうえない感謝の気持ちとともに、なぜ父があんなに一生懸命働いているのに、こんなに苦労しなければならないのかという強い憤りと、サラリーマンの限界を感じざるを得ませんでした。それでそのときに、「将来は事業家になって両親に恩返しをする」と決意したのです。その思いがずっと私の仕事のモチベーションでした。大和ハウスエ業で最初に配属された堺工場時代は、夕方5時に仕事が終わっても、それから深夜まで勉強し、帰宅は毎晩午前1時、住宅営業部の次長になれば、1日100軒の飛び込み営業と、モーレツに働いたのも、絶対にいつか事業家になってみせるという志があったからです。
将来は事業家になって両親に恩返しをするという志が揺らいだことはありません。ただ、何歳で社長になるという人生設計書は、たびたび書き直しました。
決断が速いというのも仕事のスピードを上げる重要な要素です。たとえば人からものを頼まれたときでも、瞬時に方策を立て、道をつける。もし、自分ではどうしても無理だと思うなら、その場で正直にできないと言う。どちらにしても、「考えておきましょう」と結論を先延ばしにしないこと。とくに将来リーダーになろうと思う人は、この決断力を磨くことが重要です。
若いころから、苦労して成功した起業家の講演会があれば、忙しいなかでも足を運ぶようにしていました。また、幸い私の場合は、石橋信夫(大和ハウス創業者)という人生の師が身近にいたので、素晴らしい言葉をたくさん聞くことができた。私がいつも携帯している手帳には、忘れてはならない言葉がいくっも書かれています。それを見返せば、自然と心が奮い立つのです。
講演や読書などで心を打つ言葉に出合ったら、手帳に書き留めておくことをお勧めします。こうすると、予定をみるときなどに目に入るので、自然と頭にも刻み込まれますから。
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