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ニコライ・ゴーゴリの名言8件

いつの世にも、他人の目からいっこう重要でもなんでもない地位を、自分ではさもたいそうらしく思い込んでいる連中があるものである。
自分の面(つら)が曲がっているのに、鏡を責めて何になろう。
論争には耳を傾けよ。だが、論争の仲間入りをするな。たとえ、いかなる些細な言葉の中にも、怒りや激情を吹き込む事を警戒せよ。
何よりもまず、自らの魂への鍵を見出すことだ。ひとたびこの鍵が見出されれば、それは万人の魂を開くだろう。
青年は、未来があるというだけでも幸福である。
青年は未来があるというだけで幸福である。
何事も永続きのしないのが世の習いで、どんな喜びも次の瞬間にはもうそれほどではなくなり、更にそのつぎにはいっそう気がぬけて、やがて何時(いつ)とはなしに平常の心持ちに還元してしまう
阿呆だということは、美しい細君には特別魅力あるものを与えるものだ。その欠点さえも美しい女にとっては愛しく見えるものだ
ウクライナのヴェルィーキ・ソロインツィ ソロチンツィで生まれる。1828年にサンクトペテルブルクに移り、1831年、アレクサンドル・プーシキンと会う。プーシキンはゴーゴリの才能を評価し、以後、親交を持った。1834年から1835年までペテルブルク大学で歴史を教える。その後、ペテルブルクを舞台にした『ネフスキー大通り』や『狂人日記』、『外套』、『鼻』などの短編を書いた。1836年に発表した『検察官』によってその名は広く一般に知られるところとなるが、その皮肉的な調子は非難の対象となり、それを避けてゴーゴリはローマへ発った。 ゴーゴリはその残りの人生の大部分をドイツとイタリアで過ごした。その頃の手紙によって、ゴーゴリには同性愛的傾向があったことが分かっている。しかし、恋人の突然の死を経験。その事件が彼の後半生にどのような影響を与えたのかについては未だ謎が多い。『死せる魂』を書いたのはこの頃のことであり、その第一部は1842年に刊行された。1848年、次第に信仰を深めていたゴーゴリはエルサレムへ巡礼に旅立つ。エルサレムより戻った後、聖職者コンスタンティノフスキーの影響のもと、信仰生活のために文学を棄てることを決心し、書き溜めてあった『死せる魂』の第二部を焼いてしまう。彼がモスクワで歿したのはその10日後、1852年3月4日のことだった。『死せる魂』の第二部は、その一部が残されており、刊行されている。
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