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奥田碩の名言56件

朝から晩まで年金や保険のことで厚労省たたきをやっている。あれだけたたかれるのは異常な話。正直言ってマスコミに報復してやろうか。スポンサーでも降りてやろうか
例えばクラウンのオーナーなんて大概5年で買い替えるんですよ。ならば5年持てば十分でしょう。過剰品質については徹底的に見直し、コストの適正化に務めます
何も変えないことが、もっとも悪いことだ
日本はアジアの盟主になる力量も品格もない
リストラするなら経営者は腹を切れ
兵站が伸びきっている
人間の顔をした市場経済
左遷は飛躍のチャンス
トヨタの社員は頭を下げて道の端を歩け
目先の変化や表面的な動きに惑わされることなく、変化の本質を把握したうえでスピーディーに行動することが重要です。"Big Eats Small" 時代から "Fast Eats Slow" の時代にかわりつつある中、「決断」「実行」をいかに俊敏にできるかが成功の鍵となります
格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない
人間の国際化しないと日本ダメになる。第2の大和民族を作ってもよいから若い外国人に来て貰い少子化対策を
会社も社則を10年に一度、状況に合わせて改める。 そうしない会社が沈没するように、変化できない日本は沈没するしかない
人口の減少を高齢者や女性、情報技術(IT)の力で埋めたり、あるいは200万人にのぼるフリーターを活用すればよいという一部の主張は馬鹿げた話
政府が将来必要な人口や年齢構造などに関する深層分析を行わずに少子化対策にお金を注ぎ込んでいるのは‘山に向けて大砲を撃つようなもの’だ
F1グランプリはある意味、芸術と同じところがあります。時代を引っ張っていく力がありそうです。そうしたものが引っ張っていく時代が、21世紀だと思うんです
過去の成功体験をベースとした従来の延長線上の考え方や取り組みでは解決が難しい。それだけに、私たち自身の取り組み意識と姿勢を変え、新しい発想や方法で失敗を恐れず、勇気をもって実行することが必要だ
ヘタクソでもいいから、とにかく早く動き出せ
今の新入社員には学校の成績が優秀で、偏差値が高い人はたくさんいます。しかし、これだけでは足りません。「人生の偏差値」を高めなければいけないのです。恋愛でも何でもいい。何かにとことん打ち込めば、失敗があってもそこから得られるものがあります。それが人生の偏差値を上げることになると思います
これまでを振り返ると、つくづく自分は「運」がいいなと思います。ただ、運は何もしないでついてくるものではない。いろいろな場所に出向き、様々な人に出会い、多くの体験をするなかで巡り合うものでしょう
今は物質的に恵まれていますが「苦労は買ってでもしたほうがいい」と思います。それが「人生の偏差値」の向上につながります
最後まであきらめずに、時間をかけてもやり通す。そういう覚悟をもってすれば怖いものは何もないのです。そこから新しい境地にも立てる。他人の評価も気にならなくなるのです
私は反抗心も強かったため、言いたい放題でやってきました。仕事上ではほとんどストレスを感じたことはありません。ただ、先のことや結果ばかりにとらわれず、一生懸命、徹底して物事に取り組みました。簡単にあきらめない、あの人、あの会社には負けたくない、という気持ちを持っていました
「おかしいものはおかしい」と上司にも直言する姿勢は変わらず、培った度胸は、その後の新興国での現地要人らとの折衝で、相手の懐に飛び込む要因にもなった
日本は長くデフレが続き、成長が止まっているといわれています。社会人になる人たちはそうした時期に育ってきたわけです。しかし、海外に目を転じれば成長できる余地のある地域は数多くあります。今や世界はつながっていて、メーカーも各地で「地産地消」を推し進めています。日本に閉じこもってはいけません。どんどん海外に目を向けてもらいたいものです
日本の政治、経済は、世界の変化に2周も3周も遅れた。体力のあるうちに国のために貢献したい
(1995年社長交代会見での言葉)10歳若かったら、喜んで(社長)をやった
(1996年インタビューにて)社内を走り回って上にも下にも横にも、相談しないと何も決まらないのがトヨタの現状だ
トヨタが変われば日本が変わるという意識もあるし、渋滞するつもりもない。政治の混乱や規制緩和の進み具合がどうであれ、経営としてやるべきことはやる
『ここは日本だから』という言葉を使った時点で、もうできないということと同じ。グローバルスタンダードを目指そうとする改革を放棄したことになる
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奥田碩(おくだ ひろし、1932年(昭和7年)12月29日 - )は、トヨタ自動車株式会社の相談役(前会長)。日本経営者団体連盟第9代会長、社団法人日本経済団体連合会初代会長。1996年藍綬褒章受章。 三重県立松阪北高等学校(現三重県立松阪工業高等学校 三重県立松阪工業高校)を経て、1955年に一橋大学商学部を卒業しトヨタ自動車販売株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)入社。1982年取締役、1987年専務、1992年副社長となり、1995年社長昇格。1999年会長就任。2006年相談役就任。現在に至る。 1982年トヨタ自動車株式会社取締役 1987年同社常務取締役 1988年同社専務取締役 1992年同社代表取締役副社長
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