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小野田寛郎の名言57件

人間は一人では生きられない。ルパング島での一番の悲しみは、戦友を失ったことだった。魚は水の中でしか、人は人の中でしか生きられない。
馬鹿な人は嫌いだ。馬鹿な人とは頭のわるい人のことではない。自分勝手で思いやりや常識のない人のことだ。人は一人では生きられないのだから。
約束の時間に遅れれば、その時間の分だけ待たせた人の人生を無駄にさせる。約束を守れない人は信用されず、自分の人生を無駄にすることになる。
いつも美味しいご飯を食べられ、きれいな着物を着られるのは、誰のおかげですか。たとえお金があっても、それを作ってくれる人がいなければ、手に入らないのですよ。だから「世間」ではなく、「世間様」というのです。
反省はさせられるものではなく、自分でみずからするもの。
汚名は恐れない。いつか晴れるから。結果を恐れる。どうしようもないから。
疲れている時、怪我をしている時は、弱気になってしまう。満腹な時、体調の良い時は、油断をする。
よく「何でそんなに頑張ったのか」と聞かれるが、頑張ったのではなく、頑張らざるを得なかったのだ。皆がやっていることを、自分だけくじけたら笑われるから。
強い人ほど優しい。強い人は余力があり、弱い人を助けたくなる。誰でも「他人のために働きたい」とは思っている。それには強くならなければ。
夢や希望を語るのは思っているだけ。それを目的に変えなければ達成できない。「したいと思います」から「やります」に変えるべきだ。
生きることは夢や希望や目的を持つこと。それらは教えられたり強制されたりしても、湧くものではない。自分で創り出すしかない。甘えてはいけません。
紐を結ぶ時、手際良く確実に締まりやすくすることは当然のこと。しかし、解きやすいことも大切。何でもやれば良いと言うものではない。何をやるにも経過も結果も大切。結果の先のことはもっと大切。
道具は正しく使ってこそ道具。間違うと凶器になる。
努力しても方法を間違えては、失敗する。
サバイバルとは、今まで生きてきた方法では生きれ残れない時に、なおかつ生き残る方法を考えて実行すること。
何事も熱いうちは大丈夫。冷たくなったらおしまい。人は熱しやすく冷めやすい。
日本に帰還した時、やたらと「権利と義務」という言葉が目についた。私が少年の頃は「まず義務を果たすこと」を教えられた。権利は義務を果たせば自ずと与えられるもの。
親の顔が見たいと思う時はまだ救われる。親の顔を見たくなくなったらおしまい。親を見れば子が分かる。子を見れば親が分かる。親子は鏡。
叱りすぎてもだめ、褒めすぎてもだめ。叱りすぎると叱った人が慢心し、褒めすぎると誉められた人が増長する。それでも、子供たちは叱るより誉めてやりたい。
自制や自律は筋肉と同じ。鍛練すれば強くなり放っておくと、生まれた時の自我に戻ってしまう。
礼儀は挨拶ではない。家庭や社会で筋道をつけること。
世の中には出来そうにないことでも、やらなければならないことがあるし、できることでもやってはいけないことがある。この判断基準こそが、その人の価値を決める
生まれた時は自我ばかり、生きるためには自制と自律がなければ
豊かさは自分の心で感じるもの。不便さは何とでもなる。最後は自分の五体で何とかなる
やってしまったことは「しかたがない」。これからどうするかだ。くよくよ負け犬になってしまう。負け犬は遠くから吠えるだけで向かってこない
計画どおりにいかないことは沢山あるが、思い通りにはいくものだ。不満などどうってことはない。自分の満足度を少し変えればよいのだから
過去は捨てることはできない。現在は止めることができない。しかし、未来は決めることができる
自分では「どうすることもできない」と思っていることでも、本当は「どうにかしよう」としていないだけではないか
若い意気盛んな時に、全身を打ち込んでやれたことは幸せだったと思う
いつ死ぬかは誰もコントロールできない。これはもう、しょうがないですね。「命は天にあり」です。でも、「体は我にあり」で健康管理は疎かにできません。
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小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - )は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。太平洋戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰国を果たした。 1922年和歌山県海南市に生まれる。父種次郎、母タマエ、長兄小野田敏郎 敏郎(軍医中佐)、次兄格郎(元主計曹長)、姉千恵、弟滋郎(元少尉)。和歌山県立海南高等学校 旧制海南中学卒業後商社 貿易会社に就職し中国大陸に渡り、中国語を習得。上海の商事会社で働いていた頃現地召集を受けて、1942年、現役兵として歩兵第61連隊に入隊。転属等を経て、陸軍甲種幹部候補学生に合格、陸軍予備士官学校に入学、卒業後、当時軍の上層学校だった陸軍中野学校二俣分校へ入校、情報将校として育成され卒業する。中国語や英語が堪能だった事から、1944年12月、遊撃戦の指導の任を与えられフィリピンのルバング島に着任。部下と共にゲリラ戦を展開した。
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