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松田公太の名言54件

使命とは、ある日突然、天から雷のように落ちてくるものではない。ふとしたきっかけでそれを発見する幸運な人もいるが、ほとんどの人の使命は、奥底に眠っているものを自分で探し出さなくてはならない。
あなたは、「あの人は生まれつき恵まれている、自分は平凡だから仕方ない」などと諦めていないだろうか。確かにスタートラインの差はあるかもしれない。しかし、特別な境遇にある人たちよりも強く情熱を持って取り組めば、何事も負けないはずだ!
情熱は不思議と「運」をも引き寄せ、不可能だと思っていたことを可能にしてしまう力を持っている。
運は人が運んでくれるものである。人は無意識に情熱の発信者に引き寄せられる。だから運も、自然と情熱を持った人間のもとに集まってくるのではなかろうか。
若いときの苦労は買ってでもしろとは、よくいったものです。逆境の中でもがいて必死にやったことは、自分の身になるんですね。後に必ず活きてくる。若いうちにたくさん失敗した方がいい。私は、あえて苦労を選んできましたが、それは苦しむためじゃない。その方が面白いからなんです。
私は赤字が続いたとき、あきらめもしなかったし、コスト削減もしなかった。現在以上に投資する道を選んだんです。材料を吟味し、サービスの向上を図った。お客様から喜んでもらうにはどうしたらいいか、徹底的に考え、できることはなんでも実行しました。それからしばらくして、一号店は黒字になりました。負のスパイラルから抜け出すためには、より丁寧に、心を込めて仕事に打ち込むしかないんです。
結局、失敗なんて、気の持ちようなんです。失敗してもあきらめなかったら、それは失敗じゃない。それどころか、成功の種になるんですよ。
よく、目的と目標を一緒にしてしまっている人がいますが、この2つは大きく違う。目標は、目的を達成するための道標のこと。転職や起業は、あくまで目的を達成するための手段なんですよ。そう考えれば、どんな会社に就職すればいいか、おのずと決まってくるはずです。
日本では転職にリスクがあるように言われますが、僕はそうは思いません。リスクがあるように思うのは、目的を持っていないからでしょう。人生の目的を持っている人は、転職を単なる手段としてとらえることができるんです。
情熱を持ち続けることさえできれば、チャンスは何度でも訪れます。ビジネスに関していえば、特別な才能も資産も必要ない。情熱を持ち続けられた人が成功を手にできるのだと思います
私は自由奔放な性格でしたから、上司や同僚から理不尽な非難や中傷を受けることも多かった。そんな辛い状況でも耐えられたのは、自分の中に確固とした目的があったからです。社内の待遇や人間関係に悩んでいる人がいると思いますが、人生の目的を持つといいですよ。そんじょそこらのことは気にならなくなりますからね
会社の看板に頼らず自分の力で勝負する
会社の看板に頼らず、自分の力で勝負する
何をしたらいいのかわからない人は、悲しい思い出や経験から人生の目的を探してみるといい。難しく考える必要はありません。同じような屈辱を他の人が味わわなくてもいいような仕組み作りを考えればいい。それが、人生の目的になるんです
あなたの夢と目標を教えてください。そう聞かれて、即座に応えられる日本人はどれほどいるのだろうか?「夢」と「目標」はまったく別物だと私は考えている。目標とは、具体的な計画に基づいて、自分の実生活の羅針盤として必要なもの。一方、夢とは、たとえ具現性が乏しいとしても、思い描くだけで心が満たされるものだと思う。活力にあふれた人生を送るためには、夢と目標の両方が必要だ。どちらかひとつが欠けても人生もったいない。
どんなことをするにも情熱の有無で結果は大きく変わってくる。私は人より特別な才能を持っているとは思っていない。ただ、自分の信じたことに寝食を忘れて打ち込むことはできる。情熱は誰でも平等に持つことができる。その点が生まれ持っての資産や容姿、才能とは違う。
「私は特別な経験をしたこともないし、何をしていいのかもわからない」と言う人がいる。果たして本当だろうか。まずは、自分が使命を持って生まれてきたことを信じよう。そして、それを探す努力をしてみよう。使命とはある日突然、天から雷のように落ちてくるものではない。ふとしたきっかけでそれを発見する幸運な人もいるが、ほとんどの人の使命は奥底に眠っているものを自分で探しださなくてはならない。いままで自分が歩んできた人生を、足元からじっくり見なおしてみれば、きっとどこかにヒントが隠されているはずである。
たとえ単調な仕事をしていても、常に頭を回転させ、創意工夫していると、自分の成長につながっているはずだからだ。自分の成長を感じ取ることができれば、すべてが楽しくなってくる。現在、与えられた仕事がどんなものであろうと、精一杯にこなしていれば、あなたは着実に自分の目標に向かって進んでいるのである。
タリーズ1号店を作るために、生まれてはじめて7000万円もの大金を借りた。私は借用書に印鑑を捺す前に、自宅近くのコンビニをまわった。そしてアルバイトの募集状況と自給を調べ、1日15時間働けば、30年程度で借金を返済できることを確認した。別に失敗したからといって、命まで取られるわけではない。あとは自分の力を信じて、挑戦し、最後まで諦めないことだ。
私ほど人に恵まれた人間はいないと思っている。いま現在、私とともに仕事をしてくれているフェロー(スタッフ)のうち、一人でも欠けていたら、タリーズは失敗に終わっただろう。運は人が運んでくるものであると私は信じている。人は無意識に情熱の発信者に引き寄せられる。だから運も、自然と情熱を持った人間のもとに集まってくるのではないだろうか。
会社を始めて以来、嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと、楽しいこと、本当に様々なことを経営を通じて経験してきた。以前から感じていたことだが、とくにここ数年で痛感するようになったのは人間の弱さである。自分のミスや自分の弱さ、不出来を認められずに、言い訳をしたり、他人のせいにしたりする人がいかに多いことか。私自身、自分の弱さは十分に自覚しているつもりだ。だからこそ、安易な快楽や贅沢に流されてしまうことが怖い。だからこそ、たとえ会社が順調に成長していても、経営者として常に自分を追い込む姿勢が大切だと思う。
最初に好感触を得たからといって、それだけで契約が取れるわけではない。少しでも油断して、電話だけで「宜しくお願いします」なんてやっていると、いつの間にか話がひっくり返ってしまうことは日常茶飯事。契約書にサインするまで、また、売買や融資の契約であれば口座にお金が入金されるまで、気を許すことはできない。詰めが一番重要であり、最もエネルギーをかけるべきところだ。
10代の8年間を過ごしたアメリカの生活は、私の人生に大きな影響を与えている。起業家精神(ベンチャースピリット)について、何も学校やビジネススクールで勉強しなくても、アルバイトなどを通じて実生活から自然に学べてしまう。それがアメリカの良いところだと思う。
私は人に会うのが大好きだ。自分の知らない人の話を聞くのは実に楽しい。そんな私にとって就職活動は、いろいろな業界の人と会える絶好の機会だった。就職活動を通じて、全部で40社ほどの人と会ったと思う。二度とない機会だけに、できるだけいろいろな業界の話を聞こうと試みた。業界もメーカーから商社、広告代理店、銀行、証券までと幅広かった。
サービスとはお客様の顔を見て、自然な会話ができるようになってこそ本物と言える。もちろん、これはマニュアルを実践するよりは、はるかに難しいこと。あの店に行けば、コーヒーを買いながら気持ちの良い会話まで楽しめる。そうした印象を広めることも、リピーターを増やすためには不可欠だった。
「思い立ったが吉日」「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」というのは、子供のころ、母が教えてくれた格言である。とことんチャレンジしてみないと気が済まない私の性格には、いまは亡き母に教えられたことが生きている。
フェロー(従業員)同士は名前をファーストネームで呼び合うことにした。これは経営理念の作成以来、ずっと守っている伝統だ。一緒に働く仲間にファーストネームで呼びかけることで、お互いに親しみを持ち、絆を築くことができると信じている。
笑顔は訓練で作れるものなんだ。俺も銀行員だったころ、笑顔がなかった時期があった。ちょうど弟がなくなって、笑顔なんて作る気にもならなかった。その頃は、営業に出てもまったく駄目だった。だけど上司の言葉で気付かされて、それからは意識的に笑顔をつくろうと努めた。すると、たったそれだけのことなのに営業の成績も不思議と上がった。最初は無理にでもいいんだ。笑顔を心掛けていたら、本物の笑顔ができるようになり、人とのコミュニケーションが楽しくなってくるから。
アルバイトに語った言葉
従来の日本企業では、創業者が上場後も過半数の株式を所有し、会社を支配し続けるケースが珍しくない。だが、私は企業の経営者と所有者は別であるべきだと思う。たとえ創業者が経営者を兼ねていようと、株主から罷免される緊張感がなければ、健全な経営は難しいのではなかろうか。
もちろん、フェロー(従業員)から上がってくる情報は重視し、徹底的に分析は加えるが、理論だけでは決められないことも多いのがビジネスなのだ。「カン」に頼って最後の決断を下すというのは、唯一、経営者だけに与えられた特別な権限だと信じている。
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松田 公太(まつだ こうた、1968年12月3日 - )は、日本の実業家。タリーズコーヒーインターナショナル ファウンダー。 1968年 - 母親の実家がある宮城県塩竈市で12月3日に生まれ、東京で幼少時代を過ごす。 1973年 - 水産業 水産会社に勤める父の転勤でセネガルのダカールに渡る。 1978年 - 日本に帰国。 1979年 - アメリカ合衆国 アメリカマサチューセッツ州レキシントン (マサチューセッツ州) レキシントンに渡り高校までを過ごす。中学・高校とサッカー部に所属し、州大会で2度準優勝。 1986年 - 帰国して筑波大学国際関係学類に入学。大学4年までアメリカンフットボール部所属。 1990年 - 三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)に入行。配属は土浦支店。 1992年4月 - 赤坂支店
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