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押井守の名言35件

人生の可能性を留保したくて何も踏み出さなければ、傷つくことはない。でも自分の経験から言えば、不幸になるのも人生の醍醐味(だいごみ)。その覚悟と意志があれば、人生は情熱の対象になる
自分から降りるな。戦って降ろされろ。
ない金はたいて絶対勝たないとっていう勝負は負けるんだよ
僕は映画が好きだった。恋愛や遊びや、青春のすべてを犠牲にしてでも映画を見るほど、映画が好きだった
現代日本ほど言葉が軽んじられた時代はないだろう。若者たちが次々と新しい言葉を発明しては使い捨てていくのと同じように、評論家は何ひとつ有効な言葉を見つけ出せず、テレビは模倣された言葉を無批判に垂れ流していくばかりだ。何かの事件が起きると、ジャーナリズムはゲームやアニメや漫画に原因を見つけようと躍起になる。テレビのワイドショーではコメンテーターと称する人たちが、本質とはかけ離れた議論を繰り返している。何の発見もない言葉だけが無意味に再生産され、際限なく展開されていく。
この世は模倣されたモノたちで満ちあふれている。そして、ジャーナリズムの進歩が模倣の速度を驚異的なまでに引き上げている。あらゆることが一気に全世界に広まり、次々とブームが作られる。これからの世界を生きる人間は、このブームの中に隠れている本質を、いつも注意深く見つけ出す努力をしていないと、自分の立ち位置を失ってしまうことになるだろう。
この世界には、いつの間にか僕らがすっかり信じ込まされたデマゴギー(デマ。意図的に流される虚偽情報)が飛び交っている。たとえば「若さにはかけがえのない価値がある」という言説だ。だが、若さに価値があるなどという言説は、実は巧妙に作られたウソである。もしも本当に若さそのものに価値を見出している者がいるとしたら、それは戦争を遂行中の国家ぐらいのものだろう。若さに値打ちなどないからこそ、人生は生きるに値するものなのだ。
趣味は車などというオヤジの実態は、ローンを組んで外車を買ったとか、シートを替えたとか、しょせんその程度のことだろう。本当に車が好きだというなら、ガレージでエンジンから組み立てるぐらいのことをしてはどうだ。車が趣味とか、自分の個性などと主張するなら、せめてその程度には車に没頭してから言うべきだろう。単にカネを出しただけで手に入れたものは趣味とはとても言えないと思う。
誰もが正直者になったら、必ず誰かを傷つけることになる。心に思ったことを包み隠さず正直に話したら、家庭は崩壊するし、社会は成り立たなくなる。それほどまでにウソは必要なものだ。ついてもいいウソと悪いウソがあって、大人になれば誰もが自然と使い分けるようになる。
僕が空手を始めて体力をつけたのは、何も若返りたいからではなく、映画監督という体力勝負の商売をしている以上、気力体力が欠かせないからである。そして、会社勤めと違ってスーツを着る必要がないから、ジーンズにスニーカーを履いている。
自由とは「生き方の幅」と、とらえ直してもいいかもしれない。人間、幅がある方が自由に決まっている。本質的な意味での自由とは、自由に見える状態のことではなく、自由に何ができるか、という行為のことをさすのだ。ある人間が何かをしたいと望む、それがどのくらい自在にできるかどうかが、自由と不自由の分かれ目なのである。
仕事をしているときの顔は一切家庭には持ち込まず、「僕はあなたと結婚した時と同じ、ただのダメな男ですよ」という姿勢を崩さない。家では夫の顔、娘の前では父の顔、仕事場では監督の顔とそれなりに上手く使い分けられるように努力している。
勝負を諦めた時こそが、勝負に負けるときだ。勝負を続けている限りは、負けは確定しない。勝ったり負けたりしながら、人生は続いていく。ただ、勝負を続けていくうちにだんだん勝負勘はついてくるし、くだらない失敗はしなくなってくる。スキルが上がってくるからだ。
僕は映画製作のシステムそのものに、大負けをしない仕掛けを組み込んだ。それは「他人と仕事をする」ということだ。他人という客観性を映画制作の現場に持ち込めば、独りよがりな作品に突っ走ることを彼らが防いでくれる。それに僕は優秀なやつとしか組まないから、僕がひとりで何もかも考えるよりずっと映画の質は高くなるのだ。
映画監督は発表した映画がすべてだ。本来ならば、それ以上に発言する必要もないし、まして自慢したり、言い訳したりする必要もない。作品の評価が悪ければ、結局は全部自分のせい。黙って悪評に耐えるしかない。ブログで弁解する必要など、さらさらない。
僕が少なくとも映画監督という立場を得て、人様の目に自分の作品を触れてもらえる機会を得たのはなぜか。それは僕が、映画というものに飽きなかったからだ。美しい言葉で言えば、映画に対する情熱を最後までなくさなかったからである。しかし、僕が他の人に対して優れた点はない。
僕は26歳でアニメーションのスタジオに飛び込み、初めて書いた絵コンテが評価されて演出家になった。しかしそれは、雪舟が習ってもいない絵をすらすらと書いたのとは違う。僕は必死に見てきた映画の場面を忘れなかったから、見よう見まねでコンテを切ることができただけだ。僕は映画が好きだった。恋愛や遊びや、青春のすべてを犠牲にしてでも映画を見るほど、映画が好きだった。
映画監督に天才はいないというのが僕の持論だ。映画はひとりでつくることができない。天才は誰にも理解できないから天才なのであって、共同作業の映画の制作現場に天才監督がいても、スタッフが彼を理解できないようでは映画は完成しない。ジェームズ・キャメロンとかジョージ・ルーカスとか、ウォシャウスキー兄弟とかそれなりに名の通った監督に会う機会は何度もあったが、特殊な人間など一人もいなかった。
世の中にあまた作られる映画を見まわしてみても、優れた表現を持つ映画は全体の5%といったところだろう。残りの95%は凡作だ。だが、その95%の凡作は不必要かというとそんなことはない。この世界は優秀な5%と残りの95%で構成されているが、その5%は95%に依拠して成り立っているからだ。
才能という言葉を人はよく口にする。才能だけでやっていける天才という人も、何億人かにひとりくらいはいるかもしれない。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロはそうだったのだろう。しかし、やはりそれは極めて稀にしか現れない特異な現象であって、僕もあなたも、少なくともそんな天才ではなさそうだ。
ネット上でおそらく悪口も相当書かれているのではないかと思うが、それも気にならない。もしも僕に何か言いたいことがあれば、いっそ手紙でもくれた方がいい。しかし、実際はそんな手紙が来たためしはほとんどない。ドイツの女子中学生が定期的に手紙をくれるが、ほんとうにそれくらいだ。みんな僕に言いたいことはないのかもしれないが、伝え聞くネットの中での熱狂と、現実世界の静かな反響の違いはどうしたことなのだろうと、不思議にさえ思う。
僕が若者に言えるのは「いまの自分は何者でもないし、平凡な人間なのだ」とまずは気がつくことが重要だということだ。本来の意味での可能性はむしろ、そう気づいたところからはじまる。漠然とした幻想ではなく、本当に自分がやりたいことを見据え、そのためにいま自分がやるべきことは何かを見定めることから、やり直すべきだ。
見終わって、何の発見もない映画は駄作だ。エンタテインメントとしてどれほど優れていても、どこかに「なるほど」と思わせる新たな価値観や、新しい視点が盛り込まれていなければ、その映画の価値は低い。
人生とは常に何かを選択し続けることであり、そうすることで初めて豊かさを増していくものであって、選択から逃げているうちは、何も始まらないのだ。選択する、つまり外部のモノを自分の内部に取り込むことを拒絶しては駄目だということだ。自分の殻の中だけに閉じこもっていては、本当の自由を得られない。
失敗するかどうかの分かれ目は、極論すればその人の能力の問題ではない。その大方が、世間の都合によるものだと思う。映画監督という仕事をしていると、それがよくわかる。どんなに優れた作品を世に問うても、タイミングが悪ければ大失敗作になることはある。
世間をなめてかかってはいけない。僕は世の中を甘く見ていた。世間というものは怖いもので、なめてかかると必ず痛い目に遭う。当時の僕が、まさにそれだった。
自分が作りたいようように作った作品がヒットし、他人に評価されなくても自分の好き勝手に映画を作ればいいんだと錯覚し、その次の作品で大失敗した時のことを振り返っての発言
ほとんどの人は、才能などとは縁のない場所で一生を過ごすことになる。天才の身でない我々は、情熱を持ち続けることしか、この世を渡っていく術がないのだ。情熱さえあれば、貧乏も苦難も乗り越えられるだろう。金や名声を追っていけば、それが失われたとき人は堕落する。だが、自分の美学と情熱があれば、富と名誉に煩わされることなく生きていける。
同じ教育を施しても、伸びるやつとそうでないやつがいるように、本来、人間は個体による能力差が大きい動物だ。だから、あまりに人間の平等性を確保しようとすると、結局は人間の能力差やいい加減な部分まで否定せざるを得なくなる。人間社会を住みにくいものに変質させてしまう可能性がある。そういうところに、人間の怖さが隠れているように思う。煉獄への道は善意で舗装されているというが、まさにその通りだ。
理念で突き詰めていくと失敗する。確かに、真面目なアリだけ集めて集団をつくれば、作業効率は高まるような気がする。ところが実際はそうはいかない。5%の優秀なスタッフだけを集めて作品を作りたいという欲求に駆られても、そうはいかないのだ。
現実を見据え、極端に走ることなく、中庸を進むことが人間社会を生きる知恵だと僕は思う。理想主義に陥ると大変に危険だ。民主主義でさえ現実と切り離された理念で突き詰めていくと危険であるのと同じだ。
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芸名 押井 守 ふりがな おしい まもる 本名 押井守 別名 丸輪零野村和史名輪丈小川守弘岩崎宏 国籍 民族 日本人 生年 1951 生月 8 生日 8 没年 没月 没日 職業 映画監督ゲームクリエイター小説家脚本家漫画原作者劇作家 ジャンル アニメ、実写、サイエンス・フィクション SF 活動期間 1977年 - 活動内容 配偶者 あり 家族 押井友絵(娘)乙一(娘婿)
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