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リルケの名言54件

若くして詩なんか書いたって始まらぬ。本当は待つべきものなのだ。一生涯かかって、しかも出来たら年老いるまでの長い一生をかけて、意味と蜜を集めるべきものなのだ。
ひとりの人間が別の人を愛するということ。それはおそらく、すべての課題の中でも、もっとも難しいものだろう。それは究極の試金石であり、証明である。他のすべての行為が、準備にすぎないような行為である。
二つの孤独が互いに守り合い、触れ合い、迎え合う。そこに愛がある。
よい結婚では、それぞれがお互いを孤独の保護者に任命する。
名声に打ち克つことの出来る孤独者は滅多にいない。彼はほっと安堵の顔をあげた途端に打ちのめされる。
創造する最も深い体験は女性的である。というのは、それを受胎し、分娩する体験だからである。
私の運命は何一つ運命を持たないことです。
「旅」にはたった一つしかない。自分自身の中へ行くこと。
あなたの心の中の解決されないすべてに対して忍耐強くなりなさい。そして疑問そのものを愛そうと努めなさい。
あなたの孤独を愛して下さい。あなたに近い人々が遠く思われる、とあなたは言われますが、それこそあなたの周囲が広くなり始めたことを示すものに他なりません。
僕は人を愛してはならぬと強く心を固めていた。それは「愛される」という恐ろしい地獄へ誰をも突き落とさぬ配慮だった。
本を開けると絶望者の一群がまるで堰(せき)をきったように、静寂の中にいる僕に襲いかかって来る作品がある。
恋に恋している人物にとって、自分の愛に応えられることが一番恐ろしい恐怖なのだ。
神という観客の前で、僕はもう演ずることをやめてしまった。
この世のことはどんなに些細なことでも予断を許さない。人生のどんな小さなことも、予想できない多くの部分から組み合わされている。
あなたが見るもの、体験するもの、愛するもの、失うものを、最初の人間になったつもりで言い表すようにしてごらんなさい。
どの一片(ひとひら)の落葉も、舞い落ちながら宇宙の最大の法則の一つを満たす。
何億という人間が生きているが、顔はそれよりもたくさんある。だれもがいくつもの顔を持っているからである。
作家になれるかなど聞くな。書くことが何より好きなら、君はすでに作家だ。
愛されることは、ただ燃え尽きることだ。愛することは、長い夜に灯された美しいランプの光だ。愛されることは消えること。そして愛することは、長い持続だ。
神という観客の前で僕はもう演技をやめてしまった
愛されるとは消えゆくこと。愛するとは持続することだ
大地よ、お前の哀しい願いは、目に見えぬものとなって、私たちの心のうちに甦ることでないのか。
断片
文学とジャーナリズムとの親近関係は、見かけだけのものである。前者は芸術であり、永遠をめざすものであるが、後者は時代の動きの中にある営業である。
パリの手紙
子供は未来であり、回帰なのです。子は胎であり、海なのです。
時祷集-巡礼の巻
人間はどこからかやってきて、ひとつの生活を見つけ出す出来合いの生活だ。ただ人間は、そのレディ・メードの服に手をとおせばよいのだ。しばらくすると、この世から去らねばならないし、否応なしに出ていかねばならない。
マルテ・ラウリツ・プリゲの手記
成功というものは、風に吹かれる穂波のように、それに対して人が身をかがめ、そののちに再び身を起こす、そういう成功があるだけだ。
書簡
私の運命は何ひとつ運命を持たないことです。
ヘルダーリンを歌った詩
死とは、私たちに背を向けた、私たちの光のささない生の側面である。
もろもろの事物のうえに張られた、成長する輸の中で私は自分の生を生きている。おそらく私は最後の輪を完成はすまい。だが、私はそれを試みたいと思っている。
時祷集-僧院生活の巻
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『ライナー・マリア・リルケ』より : ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke, (1875年12月4日 - 1926年12月29日) は、20世紀を代表するオーストリアの詩人、作家、評論家。独特の言語表現による詩は、ドイツ詩に新たな一面を切り開いた。また独自の宗教観や時代に対する不安や苦しみといった概念は、20世紀を象徴するようにも捉えられている。 プラハの生まれ(現チェコ領。当時はオーストリア・ハンガリー帝国の領土内)。当地は、ドイツ語文化圏から見ればかなり外れの街でプラハの街は、スラブ人・ドイツ人・ユダヤ人が鼎立していたところでもあり、ドイツ人は不利な立場になりつつある街であった。またこの街ではキリスト教の新旧勢力の衝突の場でもあった。このプラハの街で生まれた事はリルケの独特な観点を生み出したものともいえる。陸軍学校を経て、19歳に処女詩集「いのちと歌」を刊行。プラハ大学ついでミュンヘン大学に学ぶ。詩や散文を多く執筆。22歳のとき、作家ルー・ザロメを知る。ザロメの後を追うように、ベルリンへ行き、ベルリン大学で学ぶ。ルーと共に、ロシアやイタリアへ旅行。26歳の時、クララ・ヴェストホフと結婚。しかし、家庭は離散状態であった。27歳の時からパリでの生活が始まり、31歳の時に彫刻家オーギュスト・ロダンの秘書になる。ロダンの評論を書き上げた。しかしロダンと不和を生じ、再び旅に出る。35歳の時、アフリカ・エジプト旅行。この年に「マルテの手記」が完成。39歳の時、詩人アンドレ・ジッドとピアニストマクダ・フォン・ハッテンベルクを知る。1914年に第一次世界大戦が起こり、兵役へ。この体験は、やがて不安や苦しみ・虚無などの概念としてリルケの作品に表れるようになる。1919年にスイスへ旅行。1921年に詩人・ポール・ヴァレリーの詩に感動し、フランス語での詩作を多くするようになる。その後晩年を過ごすことになるミュゾットの館へ。最晩年にはヴァレリーと出会う。1926年に白血病の症状が出た。年末に体調を崩し、12月29日に死去。51歳であった。
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