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石坂泰三の名言45件

わがままこそ老人の本領だ。老人が老人として他から期待されるところは、善意の、誠心誠意の、私利私欲を離れての、かつ深謀遠慮としてのわがままである
青年はすべからく素直たるべし。壮年はすべからく狸芸にでるべし。老人はすべからく、いよいよ横着に構えて、憎まれることを覚悟すべし
企業の経済性ということは、企業をして企業たらしめるものであり、経済性の追求は企業経営の不断の合理化を促進することにある
有効、有意義な借金、必ず返せる借金、分相応な借金はけっして一概に排すべきでもない
睡眠は長い時間を必要としない。ぐっすり眠ればそれでよい
ぼくは、仕事以外の無理は一切しない
外国人が40億、50億の株を取得しても大したことはない。制限を撤廃して堂々とやるべきだ
経営は“常識”だよ
(経団連会館建設のための国有地払い下げを巡って当時の大蔵大臣・水田三喜男の煮え切らない態度への発言)もう、きみなんかに頼まない
(旧制府立一中(現・東京都立日比谷高校)を受験し合格した時の言葉)クソまじめに勉強した
高等学校での三年間は私の生涯を通じて最も印象的なものだった
その高等学校の制度がなくなったのは、日本の教育上の大きな損失だったと考えている
(全東芝従業員に協力を求めた文書)この整備改革は決して容易なるわざではなく、従業員諸君一同の協力を得なければならぬことは当然である。整備は決して人員の整理のみを以って終わるものではない。生産、営業、管理、組織の改善や計画の徹底的合理化は勿論、終戦後とかく弛緩せる人心の緊張感等は夫れ以上に必要である。若し夫れ、従業員にしてその職責を全うし得ず、業務上の統率力を欠如するが如きあれば、直ちに粛清すべきである。従業員諸君、我々は伸びんとすれば先ず縮まることを要する。余は就任早々この再建に直面し多少なりとも犠牲者を出すことは甚々忍び得ざる処なるも、大局上このほかに途なきを確信する以上、諸君に於いても能くこの事態を認識し協力せられんことを切に希望する次第である
政界に対して財界の自主性を確立する
経済の基本は、まず豊かになること。日本経済のポテンシャティリティーを信じ、拡大に全力を注ぐと同時に、経済秩序、道義、企業モラルの確立を図る
(日本万博協会会長としての心境)一体この博覧会の主体は誰だったのだろう。此の政府記録によれば総て政府当事者によってなされ、万博協会は殆ど何もしなかった様に見えると云っても過言ではないかも知れない。・・・私としては聊か、否、大いに不満である。・・・甚だ不満である事を率直に後々のため記録する次第である
経済道義の高揚、いまの日本の財界にいちばん欠けているのはこれだと思う
(浅沼稲次郎の暗殺事件に際して実行犯に対する、問題視された発言)暴力行為は決していいものではない。だがインテリジェンスのない右翼の青年がかねて安保闘争などで淺沼氏の行為を苦々しいと思っていて、あのような事件を起こした気持もわからないではない
(経団連会長就任直前のころ、家を夜間訪ねた記者に言った言葉)まあ君、ぼくは妻に先立たれたから淋しくてネ。慰問に来てくれたようなものだ。ゆっくりして行ってくれ、ぼくの妻知っているかネ。よい妻だったよ。君、奥さんを大事にしなさいよ。妻はいいもんだよ。写真を見ていってくれるかね。いい女房だったよ
(万国博協会会長に就任時のインタビューでの言葉)君、ボクは大丈夫だよ、いろいろな引き出しを持っているから
間が大切なんだよ。三味線でも間が大切というだろう? 間が悪いと三味線もあほになる
人生のコースには人それぞれのペースというものがある。自分のペースに合わせて、息切れず、疲れすぎをせず、ゆうゆうと歩を進めて、とにかくその行き着くところまで、立派に行き着けばよろしいのだ
経済が政治に追従するのでは、大きな飛躍は望めない。政治に並行しながら、これに政策面で優先することが経営者の任務ではないだろうか
誠実に、そして厳しく自分を管理することが出来ていれば、あなたの部下の管理の必要性はない
会社につとめて、いろんなこと教えてもらうんだから、金払ってもいいくらいだ
伸びるためには、まず縮まることが必要だ
私だって、世捨て人や禅坊主ではない。だから金も欲しい。ぜいたくもしたい。しかし、いくら欲しくても得られない場合は、現状に満足して、働くしか道はない。不平を言ってもそれは得られるものじゃない
私は人生万事、小成に安んじろというのではない。小さな地位でも、一日一日を充実感を覚えながら働いておれば、必ず道は開けてくる。不平不満をぶちまけるだけでは、道は真っ暗だ。一時の苦を忘れ、明日を夢見ながら、コツコツ働くしかない
満足しているものが一番の金持ちだ
今の世の中で政治が一番悪い
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石坂 泰三(いしざか たいぞう、明治19年(1886年)6月3日 - 昭和50年(1975年)3月6日)は、昭和時代の財界人、経営者。第一生命保険、東京芝浦電気(現東芝)社長を経て、第2代経済団体連合会(経団連)会長(在任、昭和31年(1956年)2月21日~昭和43年(1968年)5月24日)。経団連会長を「財界総理」というが、それは石坂をもって嚆矢とする。正三位 勲一等。 明治19年(1886年)6月3日東京下谷上野に埼玉県出身の質業石坂義雄の三男として生まれる。牛込北町・愛日小学校(現・廃校)時代は、同級に大島浩が、先輩には永田鉄山、歌人の川田順らがいた。小学校5年次に東京都立戸山高等学校 城北中学(のちの府立四中)を受けるも失敗、6年次に、それならもう一段難しい中学を受験しようと決意し、東京府尋常中学、のちの東京府立一中(現・東京都立日比谷高等学校 日比谷高校)を受験、合格した。その後、第一高等学校 (旧制) 旧制一高独法科を経て、明治44年(1911年)東京帝国大学法科独逸法律科を卒業後、逓信省に入省、郵便貯金局書記に任官する。大正2年(1913年)父親の友人、織田一の長女雪子と結婚する。夫人には結婚式当日に始めて会い、一目ぼれしたという。当時としては珍しく一週間の新婚旅行をして周囲を驚かせている。大正3年(1914年)高等官に昇進し、為替貯金局事務官補となる。岡野敬次郎法制局長官の紹介で第一生命保険相互会社の矢野恒太社長に紹介されたのが機縁となり、大正4年(1915年)逓信省を退官し、第一生命に入社し、矢野社長の秘書となる。大正5年(1916年)生命保険事業視察のため欧米諸国を歴訪、翌年9月に帰国する。昭和13年(1938年)第一生命取締役社長に就任する。この年の秋に丸の内に後にGHQの本部ビルとなった、第一生命本社ビルが完成している。こうして、昭和22年(1947年)に辞任するまで、第一生命を中堅から大規模生命保険会社に成長させた。
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