名言info

中鉢良治の名言30件

ひとつの話題から連想を広げ、リンク先を探していくと、情報がどんどん連結していきます。知識とは、情報をつなげていく連結点のことです。つまり学びとは、情報をつなげていく行為だと僕はとらえています。そうしていかに情報やアイデアを拡張していけるか、これは、ビジネスマンにとっては必須能力なのではないでしょうか。
情報をリンクするためには、情報のストックが必要です。僕の場合は、気になった情報を手帳にすべて手書きでメモしていきます。この手帳術は、学問を志していた30年以上前から始めており、いまでもソニー手帳を利用して、欠かさず続けています。いってみれば、手帳がアナログのデータベースになっているのです。情報のストックが多ければ多いほど、連結点も増えていくというわけです。
リンクし、拡張していくことの重要性は、個人だけではなく組織においても同様です。個人の才能が会社の財産であることは間違いないですし、いまや個々人が専門性を持たなければ、会社にとどまれない時代です。でも、一人の力だけでは、仕事を通じて実現できることに限界があるでしょう。
相手への好奇心を持ち、相手の持ち味も認めるだけの拡張性を持つことで、そこに新たな連結点が生まれる。個人と個人の連結点が多ければ多いほど、組織としての可能性が広がっていくのだと思います。
大学院を卒業するとき、アカデミズムの世界に残るべきか、ビジネスの世界に進むべきかを悩んだ末、ソニーに入社する道を選択しました。入ってみると、大学で指導を受けた教授に勝るとも劣らない、その分野のスター技術者たちが社内にゴロゴロいました。当時のソニーの社員たちは、とにかくみんなとんがっていて、めちゃくちゃにプライドが高かったものです。並みの会社では許せない。商品開発をするにしても世界ナンバーワン、オンリーワンでなければ挑戦する価値がないという企業風土がありました。そうした思いに支えられた技術者の個性が、それぞれにつながっていたのです。
一流の技術者たちがひしめき合って、世界で一番を取るためにはどうしたらいいか、毎日活発に議論を戦わせ、切磋琢磨して競争力を高めていました。若き日の僕が、この環境から学んだものは計り知れません。
入社した1970年代後期から80年代のソニーの状況を振り返っての発言
ソニーには挑戦を許す文化があります。だから技術者も元気がよかった。それが、いつのまにかノビノビと楽しそうに研究開発を行う技術者が少なくなっていることに気づきました。ソニーは昔から社員の個性を尊重する企業で、それは今でも変わりません。社員各々が、自分の戦略を持っている。それが会社が目指す技術の発展に結びつかなくなっていたのは、互いの連結点を失い、会話が減り、みんなの心がバラバラになっていたからなのかもしれません。
僕は社長に就任したとき、社員と直にコミュニケーションをはかることに決めました。社内向けのブログを始めたのもそのひとつです。そして何より、なるべく自ら現場に足を運んで自分の目で確認し、社員と直接会話するようにしたのです。現場にしょっちゅう顔を出します。
会社のトップが社員ひとりひとりをきちんと見て、理解していると彼らに伝えたい。理解とは、評価よりも先に、まず関心を示すことだと思っています。誰だって無視されるのは嫌でしょう。
昔はエンジニアたちの間で「上司の足音が肥やし」だなんて言われていたものです。僕自身、若いころは、上司や先輩がかけてくれた言葉がモチベーションになりました。手放しで褒めてくれるようなことはありませんでしたが、上司が関心を示してくれただけで、飛びあがるくらいに嬉しかった。年に一回とか、二年に一回あるかないかくらいの、本当に稀なことだったけれど、僕たちエンジニアっていうのは、そのときにかけてもらった言葉を何年も大事に心にしまっているものなのです。
エレベーターに乗り合わせたときにかけられた一言とか、他愛もない言葉が、ものすごいバネになる。だから社長という立場に立ったいまは、できるだけ多くの社員に声をかけたいと思っています。僕が話していることに、どこまで耳を傾けてくれているか、どう感じてくれているかを直に知りたいし、一人一人の社員と僕が、しっかりつながっていたいからです。
社員に関心を示すことを体現するのは、結構な肉体労働です。でも、実際に合うことですぐにフィードバックがありますし、メールや電話と比べると、情報の量と濃密性がまるで違うものです。コミュニケーションにおいては、効率を優先しすぎると、効率性から漏れてしまう情報のロスが大きくなると思います。
社員同士にも同じように、コミュニケーションから生まれるリンクを大事にしてほしい。システムが解決してくれるものは効率性にすぎない。ビジネスの競争力となる独創性、創造性にはつながりません。でもそれは、手間暇かけないといけない対人的なものなのです。
僕は技術者に「優しさを学べ」と言っています。これは学生時代に恩師から学んだことです。当時「お前は優しくないから、技術者として大成しない」と指摘されたことがありました。どういう意味かというと、優しくない人というのは、不注意なのです。注意深くものを観察するには、謙虚さがなければできない。とんがっているだけの人間は、確かに才能を示しますけれども、思い上がっているから他人の言うことをきちんと聞かない。だから相手の真意を正しく理解することができない。それは人間としてのバランスを欠いているということ。恩師は「周囲をきちんと見ろ」「謙虚さを知れ」「注意深くものごとを見極めよ」「他人の意見に素直に耳を傾けろ」と言いたかったのでしょう。
10年前、病気で倒れ、一時は危篤状態に陥りました。それから1ヶ月間入院しました。退院した日のことは忘れられません。雨が降っていて、銀杏の葉が黄色に染まり、入院前とは景色がガラリと変わりました。路傍に咲く、名もない花の美しさに目を奪われながら、これまでこんなふうに周囲の景色を感じたことはなかったなとつくづく思いました。ガムシャラに走り続けてきた毎日から、命を失うかもしれない状況に陥って歩みが止まったとき、スッと力が抜けた。そうしたら、いままでは視界に入っていなかった世界が、突然、鮮やかに目に飛び込んできたのです。
自分で見て、自分で気づくことが重要なのです。そして、その気づきを情報としてストックしていく。バーチャルなものと実像では、情報量に圧倒的な差があります。
僕は手帳に、直接見聞きしたできごとに加え、雑誌や新聞を読んで気になったネタや、ふと思いついたアイデアスケッチなど何でも書きます。自分で勉強した心理学についての覚書や一時期凝った仏像の鑑賞法なども書き留めています。そうしたものは、多くの人はただの雑学とか趣味というのだけれども、これも立派な勉強なのです。自分から外へ、どのようにリンクを張っていくかの発展性、拡張性は、何より地道なネタ集めが肝心です。何と何がつながるかは、はじめはわからない。ジャンルを問わず、ありとあらゆるものに関心を持っているから、発展性がある。
情報のストックには、できればパソコンではなく、手書きをお勧めしたい。手を動かすと記憶に残るし、書き写すときに丸写しは面倒なので、自然と情報を取捨選択することになる。この過程で情報が自分のものになります。
集めた情報を何度も見返しては、情報と情報を関連付け、網の目を広げていくのです。手間暇かけて情報を集め、それを咀嚼し、自分のものにする過程を経ずに、情報と情報のリンクはできません。素材をただそれらしくつなげて文章にしようとすると、データベースで無理やりソートしたような失敗作になってしまう。リンクには効率性という発想はありません。一朝一夕では体得できないスキルなのです。
僕は、とんがった社員を育てたいと思っています。とんがった社員と付き合うのは、ものすごく手間ひまかかるし、エネルギーも消耗します。でもそうした出る杭社員こそが、組織のエンジンそのものなのです。ただし、独創的、創造的な技術は、本人の才能だけでは花開かない。ほかの社員との手間ひまをかけた対話を通してこそ才能が磨かれ、優れた製品が生まれるのです。
目線を常に高く持つ。それがソニーの宿命です。下を向いて歩いていては駄目。何だか知らないけれど、ふんぞり返って上を向いて歩いているうちに電柱にぶつかるくらいが、ソニー社員の正しい歩き方。ふんぞり返るあまり、後ろにひっくり返る人間がいたっていいのです。僕がちゃんと起こします。
消費者の目線になれと言われて、いくらデータを分析してみたところで、対象者という実物と接点がなければ、相手の目線になることなどできないでしょう。
ここ数年のソニーは、ユーザーがどう思うかということより、自分の技術を極める方を優先してしまい、結果的に自社製品の中に欲しいと思うものが見当たらないという事態に陥ってしまったのです。
40代というのは、それまでの自分が手掛けてきたフィールドではベテランですが、マネジメントという分野では超新人です。それは新しい体験だから、面白おかしくて、のめり込めます。一方で、一段、一段責任が重くなっていき、一種の倦怠感みたいなものが生まれます。その倦怠感とチャレンジ精神のバランスをうまくとることが肝要です。
40代というものは、人生でも大変なときで、仕事でもプライベートでも、いろいろな問題が並行していっぺんに押し寄せてくるものです。
私は38歳のとき、8ミリビデオテープを世に送り出しました。いま振り返るとあのころが技術屋としてのピークでした。それから職種が変わり、芸風が変わって、研究開発のマネジメントをはじめました。それまでは自分がエンジニアとして手掛けていた磁気記録とは異なる分野も手掛けることになりました。
42歳のとき、米国アラバマの工場に赴任することになりました。自分のコアコンピタンス(核となる価値)は研究開発だと思っていたので、「何で俺が」という思いがありました。しかし、私の美学からいって、人事についてはグズグズ言わないことにしていたので、行きますと即答しました。
45歳に過労で倒れ、生死の境をさまよいました。それまでの自分に自信を与えていたのは、誰よりも無茶苦茶に働いたということでした。価値観でいえば「撃ちてし止まん」、倒れてもやるぞということです。
死にかけたおかげで、あまり怖いものがなくなったような気がします。すーっと欲が抜けたような感じがしました。
45歳のころ、過労で倒れ、生死の境をさまよったのち、数か月間の入院生活をしたことについて語った言葉
52歳で執行役員になりました。そのとき、「もし役員でなくなったら、俺に何ができるか」と不安でした。「俺にしかできないという仕事の選択肢が2つ、3つは欲しい」。そう考えて、環境問題、品質問題ならだれにも負けないということを見つけたときには、憑き物が落ちたような解放感がありました。
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