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五島慶太の名言28件

俺は、その日のことはその日で忘れる主義だ。その日に決断のつかないことを、思い悩んであすまで持ち越すようだと、あすの戦争は負けだ。一日の労苦を忘れるには、坊主とか芸者の浮世ばなれしたばか話を聞き、ぐっすり寝て仕事を忘れるにかぎる。翌朝は頭が爽快で、また新しい構想が浮かぶのだ。
人間は時々、努めて頭を空っぽにしなければだめだ。
自分より偉い人はみんな利用しなければだめだ。自分より偉い人を思うままに働かせることが事業成功の秘訣だ。
勝っても「なあにッ」、負けても「なあにっ」、どっちへ転んでも「なあにッ」、どんなことにぶつかっても、これさえ忘れなければ、必ずやっていける。
人は息絶えても、夢は残る。
知と行だけではダメである。誰にも負けないという信念が必要だ。
人間はときどき、努めて頭を空っぽにしなければだめだ。
ものごとはすべて大きく考えること。おじけづいていては成功しない。
人の成功と失敗のわかれめは、第一に健康である。次には熱と誠である。体力があって熱と誠があればかならず成功する
人の成功と失敗の分かれ目は、第一に健康である。次には熱と誠である。体力があって熱と誠があれば必ず成功する
企業は愛されるだけでは駄目だ。尊敬される怖さを持て。
これからの事業格差というのは、資金とか収益だけでなく情報量のギャップが必ず大きな問題になってくる。明日の中小企業を考える上で、情報化は最優先のポイント。
人間は知と行だけではダメである。そこには必ず誰にも負けないという信念が必要だ。それには信仰で人間の意志というものを絶えず鍛錬していく必要がある。事業で成功するにしても、利殖するにしても、不可欠なものは信念である。
東京市長選に伴う疑獄事件で6か月間獄中生活を送った経験から得た哲学についての発言。大審院(大日本帝国憲法時の最高裁)で無罪が確定した。
俺はその日のことはその日で忘れる主義だ。その日に決断のつかないことを、思い悩んで明日まで持ち越すようだと、明日の戦争は負けだ。一日の労苦を忘れるには、坊主とか芸者の浮世離れしたバカ話を聞き、ぐっすり寝て仕事を忘れるに限る。翌朝は頭が爽快で、また新しい構想が浮かぶのだ。
事業とは、最後は浮沈をかけた勝負である。
父、五島慶太の生き様から学んだ経営哲学について語った言葉
金儲けは易しいが、経営とは違う。世のためになって利益を上げるのが経営。だから経営は難しい。
若いころから自分の心にかなった事業を興してこれを育て上げ、年老いてその成果を楽しむことのできる実業界に比較すれば、いかにもつまらないものだ。これが十年近い官吏生活を経験した私の結論であった。
6か月間の獄中生活の苦悩は、おそらく経験者でなければその心境を推察することは不可能であろう。私はこのときが人間として最低生活であった。だが、こういうときにこそ人間の日ごろの訓練とか修養とかがハッキリ出てくるものである。胆力もあり、肚も座った人間でなかったら、あるいは悶死するようになるかもしれない。その点で私は宗教的信念を持っていた。抜くべからざる自信である。それがものをいってくると、私はむしろ健康もよくなり、太ったくらいである。
東京市長選挙で選挙資金を贈った容疑で拘留されたときを振り返っての発言。6か月後無罪となり釈放された
私は沿線の人たちに「良品を廉価に」提供する目的で東横百貨店を渋谷に作った。
ときにはやむを得ず、株買い占めという強硬手段をとらざるを得ないこともあったが、これは世間でいうように単に私の征服欲、事業欲のためのみでなく、東横電鉄(のちの東急電鉄)の社員を愛し、その老後の生活まで考え、あわせて会社の総経費を分割して、経費を下げるということからやったことである。
100社を超える会社を買収し、強盗慶太とあだ名をつけられたことについて語った言葉
最近よく人から、あなたにも昔はご婦人とのロマンスぐらいはあったでしょう、と聞かれるのだが、正真正銘私にはロマンスなどというものはない。もし私にロマンスがあったとしたら、女に惚れていたとしたら、今日の私はあり得なかったろうと思う。事業に対する野心がロマンスを征服してしまったというか、惚れたのはれたのということを考える余裕もなかったのである。
私など、もう年をとって最近は肉体的にもすっかり衰えてしまったので、惚れられてもはじまらないが、しかし若い女と馬鹿話をしていると、仕事の話や世間の苦労からまぬかれて頭の中が「空」になってくる。そうすると夜熟睡できるので、また明日への活力が出てくるのである。これが私の健康法である。
三昧ということが必要である。女でも、碁、将棋、スポーツなんでもよい。三昧になる、すなわち「空」になるということが必要である。
昭和初頭の財界不況に遭遇し、私はしばしば自殺を考えるに至るほどの苦しさを経験した。ときには社員の給与にも困難し、十万円の借金をするのに保険会社に軒並み頭を下げて回り、皆断られて小雨の降る日比谷公園をションボリ歩いたこともあった。松の枝がみな首吊り用に見えて仕方がなかった。しかし、いまにして思えば、すべて信念と忍耐力の問題であった。
私はとにかく、「強盗慶太」の異名を頂戴するくらいであったから、事業のための私であり、事業あってこその生涯だった。
一週間に一回、嘉納治五郎先生から倫理の講義を聞いたが、先生は柔道の格好で太い腕節を出して「なあに」という精神が一番必要だ、どんなことにぶつかっても「なあに、このくらいのこと」というように終始考えろということを言われた。先生の「なあに」精神はいまでもはっきり頭に残っている。
東京高等師範学校(のちの東京教育大学、筑波大学)時代を振り返っての発言。嘉納治五郎は柔道の創始者で同校の校長も勤めていた
孤独な者は、最も強い。
事業場から墓地に直行したくないとは考えているが、事業こそ私の生命であるとも思っている。
五島 慶太(ごとう けいた、1882年(明治15年)4月18日 - 1959年(昭和34年)8月14日)は、実業家。東京急行電鉄の事実上の創業者。 東京帝国大学 東京帝大卒業後、官僚を9年勤めた後に現在の東京急行電鉄 東急の前身である武蔵電気鉄道常務に就任。実質的な経営権を獲得し、東急池上線 池上電鉄を始めとする企業を次々と買収。その強硬な手口から「強盗慶太」の異名を持った。鉄道事業では優れた経営を行い、阪急電鉄の小林一三と並び、「西の小林、東の五島」と賞された。 長野県小県郡青木村に農業を営む父・小林菊右衛門 母・寿ゑの二男として生まれる。菊右衛門は熱心な法華経の信者で朝起きたとき、夜寝る前、南無妙法蓮華経を少なくとも五百編から千編ほども唱えていたという。その両親の姿勢を受け、慶太もまた仏教に感化を受けていった。父は製糸事業などに手を出し失敗していたため、家計はとても楽と言える状況ではなかったのだが慶太の志は高く、両親を説得して旧制長野県立上田中学校(現、長野県上田高等学校 上田高校)に入学、4年からは松本の知人の家に下宿し、松本中学校(現、長野県松本深志高等学校 松本深志高校・当時上田中は松本中の支校(分校)で4年次以降は本校である松本中への転校が必要だった)へ通った。
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