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福沢諭吉の名言218件

元来私が家に居(お)り世に処するの法を一括して手短(てみじか)に申せば、すべての事の極端を想像して覚悟を定め、マサカの時に狼狽せぬように後悔せぬようにとばかり考えています。
自ら心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財に依らざる独立なり。
自ら物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智恵に依(よ)らざる独立なり。
独立自尊の人は自営自活の人たらざるべからず。
ただ頼むところは母一人だ。母さえ承知してくれれば誰が何と言うても怖い者はない。
自分の考えを曲げてまで交際を求めない。
まず獣身(じゅうしん)を成して、後(のち)に人心を養う。
難(かた)きを見て為さざるは、丈夫の志にあらず。
一身独立して一国独立す
独立自尊
自我作古(じがさっこ)の業にのみ心を委(ゆだ)ね、日夜研精し、寝食を忘るるに至れり。
物を貪(むさぼ)るは男子の事に非(あら)ず
学問は事をなすの術(すべ)なり。実地に接して事に慣るるに非(あら)ざれば決して勇力を生ずべからず
そもそも事を為すに、これを命ずるはこれを諭(さと)すに若(し)かず、これを諭すは我より其(そ)の実の例を示すに若かず。
独立とは、自分にて自分の身を支配し、他に依(よ)りすがる心なきをいう。
独立の気力なき者は、人にして悪事をなすことあり。
文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするをいうなり、衣食を饒(ゆたか)にして人品を貴くするをいうなり。
知己の多きは人間の一大快楽
人の世をわたる有様を見るに、心に思うよりも案外に悪を為し、心に思うより案外に愚を働き、心に企てるよりも案外に功を成さざるものなり。
自由を得た結果、不自由を感じている。
水清ければ魚なし、人智明なれば友なし。朋友を容るるの度量は広くして聊か漠然たるを要す。
思ふ所は言ふべからず、言う所は行ふべからず。
世の中で一番みにくいことは、他人の生活をうらやむことです。
世の中で一番さびしいことは、する仕事のないことです。
世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないことです。
自由は不自由の際に生ずというも可なり。
猿が読むのだと思って書け。
世の中で一番悲しいことは、うそをつくことです。
自由と我儘(わがまま)との界(さかい)は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。
自ら労して自ら食(くら)うは、人生独立の本源なり。
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『福澤諭吉』より : 福澤 諭吉(ふくざわ ゆきち、1835年1月10日(天保5年12月12日 (旧暦) 12月12日) - 1901年(明治34年)2月3日)は、明治期の思想家、東京学士会院初代院長。慶應義塾大学 慶應義塾創設者として、明治の明治六大教育家 六大教育家に数えられる。1984年~2004年の日本銀行券D号1万円札、2004年~のE号1万円札の肖像にも使用されているので時代を超えた人気者でもある。現代では「福沢諭吉」と記載される事が多い。なお「中村諭吉」と名乗っていた時期がある。 慶應義塾大学をはじめとする学校法人慶應義塾の運営する学校では、福澤諭吉のことを敬意をこめて「福澤先生」と呼ぶ。 1835年1月10日(天保5年12月12日)大坂堂島(大阪市北区 (大阪市) 北区)にあった豊前国中津藩(大分県中津市)の蔵屋敷で下級藩士福沢百助 於順の次男として生まれる。諭吉という名の由来は、儒学者でもあった父が『上諭条例』(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れた夜に彼が生まれたことによる。父は大坂の商人を相手に藩の借財を扱う職にあったが、儒教に通じた学者でもあった。しかしながら身分が低いため身分格差の激しい中津藩では名をなすこともできずにこの世を去った。そのため息子である諭吉は後に「門閥制度は親のかたき」とすら述べており、自身も封建制 封建制度には疑問を感じていたと述べている。なお、母兄姉と一緒に暮してはいたが、幼時から叔父中村術平の養子になり中村姓を名乗っていた。後、福澤の実家に復する。
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