マルキ・ド・サド(Marquis de Sade)は、18世紀フランスの小説家、貴族であり、特にその官能的で暴力的な作品として知られています。彼は、人間の本性と社会の規範、そしてそれらの対立を探究することで、哲学的・倫理的な問題に挑戦しました。
彼の最も有名な作品には、「ジュストィーヌ、あるいは美徳の不幸」や「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」などがあります。これらの作品は、暴力的な性的行為や人間の苦痛に焦点を当てています。サドの作品は、当時の社会的・宗教的規範に挑戦するものであり、しばしば検閲や投獄などの処罰を受けました。
そんなマルキ・ド・サドの心に響く名言や格言などをピックアップしてお届けします。
マルキ・ド・サドのプロフィール
マルキ・ド・サドは、1740年にフランスの貴族の家庭に生まれました。彼は若い頃から非常に才能があり、優れた教育を受けました。彼は文学や哲学に関心を持ち、当時の思想家たちの影響を受けました。
サドは、若い頃から不道徳な行為を繰り返しており、何度か投獄されたことがあります。彼は投獄中に多くの作品を書きましたが、その多くは禁書に指定され、公に出版することはできませんでした。
サドは、自由恋愛や自己決定権、個人の快楽を重視する思想を提唱し、当時の社会的・宗教的な規範に反発しました。彼の作品は、性的表現や暴力的な描写が含まれており、当時の社会にとっては非常に過激であるとされました。
彼は1790年代に投獄され、1804年には精神病院に送られました。彼は病院で余生を過ごし、1814年に亡くなりました。彼の作品は、死後に徐々に再評価されるようになり、20世紀にはフランスの文化的・思想的なアイコンの一人となりました。
サドの作品は、彼の思想や哲学を表現する手段としてのみではなく、官能的な楽しみを提供するためにも読まれています。しかし、彼の作品が提起する倫理的な問題や社会的な価値観への挑戦は今日でも議論の的となっています。
また「サディズム」、「サド」という言葉は彼の名前が由来になっている。
マルキ・ド・サド 名言 格言集
- 堕落は快楽の薬味。堕落がなければ快楽も瑞々しさを失ってしまう。そもそも限度を超さない快楽など、快楽のうちに入るだろうか?
- 快楽とは苦痛を水で薄めたようなものである
- 悪徳こそわれわれ人間に固有のもの、つねに自然の第一法則なのであって、それにくらべればどんなりっぱな美徳だって利己主義的なものでしかなく、分析してみれば実は美徳 そのものが悪徳なのだということが。要するに、人間におけるいっさいは悪徳なのだ
- この神という偶像の崇拝くらい、あらゆる幻影のうちで、最も醜悪で滑稽で危険で軽蔑すべきものはありません
- 享楽の行為は私のみとめるところでは、他のあらゆる情熱を従属させる情熱である。しかしそれはまた、他のあらゆる情熱と同時に結合する
- 絶えず美徳にかじりついている、こういった種類の淫売たちは、自分たちがだれからもちやほやされたことがないので、そのため、もっとも極端な淑女ぶりこそ、せめて他人に認めてもらえる唯一の美点になるだろうと、想像しているのだ
コメント