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明智光秀 名言 格言集|本能寺で織田信長を討った武将が残した心に響く言葉・辞世の句

名言

三英傑のひとりである「織田信長」から絶大な信頼を得て、低い身分から一国一城の主へと出世した戦国武将。

後にあの有名な「本能寺の変」で、その「織田信長」を討った明智光秀は、結果的にわずか10日余りの天下を取りました。

最後は、織田信孝・羽柴秀吉らに山崎の戦いで敗れて討ち取られる事となった「明智光秀」の、心に響く名言や格言などをピックアップしてお届けします。




明智光秀のプロフィール

生誕 永正13年(1516年)
享禄元年(1528年)
死没 天正10年6月13日(1582年7月2日)
別名 通称:十兵衛、惟任日向守
雅号:咲庵
あだ名:キンカ頭
正室:煕子(妻木範煕女)

明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。

美濃国の明智氏の支流の人物。一般に美濃の明智荘の明智城の出身と言われているが、他の説もある。

最初は、土岐氏に代わって美濃の国主となった斎藤道三に仕えた。道三と義龍の親子の争い(長良川の戦い)の結果、浪人となり、越前国の一乗谷に本拠を持つ朝倉義景を頼り、長崎称念寺の門前に十年ほど暮らし、このころに医学の知識を身に付ける。その後、足利義昭に仕え、さらに織田信長に仕えるようになった。

元亀2年(1571年)の比叡山焼き討ちへ貢献し、坂本城の城主となる。天正元年(1573年)の一乗谷攻略や丹波攻略にも貢献した。

天正10年(1582年)、京都の本能寺で織田信長を討ち、その息子信忠も二条新御所で自刃に追いやった(本能寺の変)が、自らも織田信孝・羽柴秀吉らに敗れて討ち取られた(山崎の戦い)。

※参照 Wikipedia

 

明智光秀 名言 格言集

1 敵は本能寺にあり

あまりにも有名なセリフですね。

 

2 仏のうそは方便という。
武士のうそは武略という。
土民百姓はかわゆきことなり。

心優しい方だったのでしょうか。

 

3 自分は他の誰でもない煕子殿を妻にと決めている。

めっちゃ愛妻家。

 

4 瓦礫のように落ちぶれ果てていた自分を召しだしそのうえ莫大な人数を預けられた。
一族家臣は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない。

この後には本能寺の変。

 

5 時(土岐)は今
雨が下しる(天が下知る)
五月哉

様々な憶測がありますが、実は謀叛を起こす予告ともいわれています。

 

6 順逆二門に無し
大道心源に徹す
五十五年の夢
覚め来れば
一元に帰す

辞世の句。

 

7 心しらぬ
人は何とも
言はばいへ
身をも惜まじ
名をも惜まじ

またまた辞世の句。

 

8 わしは千人の頭になることぐらいで終わるつもりはない。もっと大きくなる。

若かりし日の光秀。

 

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