岡本かの子(本名:岡本カノ、旧姓:大貫)は、日本の大正・昭和期の小説家、歌人、仏教研究家として活躍した女性です。彼女は1889年3月1日に東京府東京市赤坂区青山南町(現在の東京都港区青山)で生まれました。跡見女学校を卒業しています。
かの子は若い頃から歌人としての活動を行い、その後は仏教研究家としても知られるようになりました。また、彼女は漫画家である岡本一平と結婚し、芸術家の岡本太郎を生んでいます。
そんな岡本かの子の心に響く名言や格言などをピックアップしてお届けします。
岡本かの子のプロフィール
彼女は小説家としては晩年に実質的にデビューしましたが、生前にも精力的な執筆活動を行っており、死後に多くの遺作が発表されました。彼女の作風は耽美で妖艶な要素を特徴としていました。
一方、私生活では夫一平とともに「奇妙な夫婦生活」を送ったことでも知られています。岡本一平は日本の漫画家として著名で、夫婦としての関係は一風変わったものだったようです。
岡本かの子の文学作品や仏教研究など、多岐にわたる活動が日本の文化史に貢献しています。彼女の作品や人物像は、日本の文学や芸術に興味を持つ人々にとって興味深いものとなっています。
名前 | 岡本かの子 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1889年3月1日 |
没年月日 | 1939年2月18日(49歳没) |
出生地 | 東京府東京市赤坂区青山南町 (現東京都港区青山) |
職業 | 小説家・歌人・仏教研究家 |
岡本かの子 名言 格言集
- 人生は悟るのが目的ではないです。生きるのです。人間は動物ですから。
- 私の著書などというものは私の体臭、あるいは汗のようなものだ。心身の体内、汚臭、香気、みな出でつくせよという気もちで書き、それをそのままとめたものだ。
- 四十近くまではともかく私の年頃になったら御身もそれまでに地盤をかためおき静なる生活に入られよ、かならず。
- 太郎。私たちはほんとうにお前に手紙を書かないね。書かないでもいいような気持になれて、この地上にたった一人離れている最愛の者が在ることを静に想っていられるようになったにもよるのだね。
- 静ですよ、私の世界は今、そしてこの静けさの底にシンと落ち付いている力がある。もちろん磐石のような形のものではない、むしろそんな毒々しい形をとらないきちんとしたつつましい白金のような力強い繊維の束です。
- さらばお前の新鮮な自由な生活のなかで幸福におくらしなさい。
- 年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり。
- えらくなんかならなくてもいい、と私情では思う。しかし、やっぱりえらくなるといいと思う。えらくならしてやりたいとおもう。えらくなくてはおいしいものもたべられないし、つまらぬ奴にはいばられるしこんな世の中、えらくならなくてもいいような世の中だからどうせつまらない世の中だからえらくなってくらす方がいいと思う。
- とにかくピカソの精神がわかれば、あとは実行があるばかりです。
- 私は芸術家だから芸術の神にぬかずけばいいんだよ。
- 純文芸の小説なんかどんどん書けば恋はひとりでにそのなかに浸透するさ。
- 手で働き心で考えることだ。
- 楽しく公平に人間、あるいは世間を見て行く、そして自分の情操思想を取り扱って生きていく。その余は何をかたくらみ希求しよう。
- エロはあの人の体質の余映にすぎない。そんなところばかりめにつけてるのは安価なスケベイ人だ。その奥のものを見よ、感ぜよ。
- 不遇や孤独を恐れては、本当に欲しいものは手に入らない。
- お前の絵を最初に評価するのは、お前しかいない。人の評価に身を委ねてはダメ。
- はじめからアテのないことをしているんだから、迷うことを恐れずひたすら手を動かしながら考えることよ。
- お前が迷う気持ちはよくわかる。だけどあなたは絵描きになりなさい。他の自分に絶望して絵に専念なさい。
- だが私は思うのよ。製作の発表場所を与えられれば迷いながらも一つの仕事を完成する、そして世に問うてみ、自分に問うてみ、また次の計劃がその仕事を土台にして生れる。そしている内にともかく道程がだんだん延びて次の道程の道程をつくる――でなければいつまでたっても空間に石を投げるようにあてがつかない。
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