『白い巨塔』(しろいきょとう)は、日本の作家山崎豊子による長編小説で、社会派小説として知られています。この小説は、浪速大学に勤務する財前五郎と里見脩二という対照的な主人公を通じて、医局制度の問題点や医学界の腐敗を鋭く描いています。
財前五郎と里見脩二は、医療界における権力争いや倫理的な葛藤に直面し、それぞれ異なる方法でこれに立ち向かうキャラクターとして描かれます。小説は、医療施設や医師たちの内部での諍いや権力闘争、病院経営の問題などを通じて、医療制度の問題を浮き彫りにします。
この小説は山崎豊子の代表作の一つとされ、1966年に映画化された後、何度も映像化されたことからもその影響力と人気がうかがえます。医療制度や倫理、権力といったテーマを通じて、日本の医療界に対する批判的な視点を提供し、社会的な議論を呼び起こす役割を果たしています。
唐沢寿明さんや岡田准一さんなどが演じる「財前 五郎」の名言をいくつか紹介していきます。
財前 五郎のプロフィール
役 | 田宮二郎(1965年 – 1966年・ラジオドラマ、1966年・映画、1978年 – 1979年・テレビドラマ) 佐藤慶(1967年・テレビドラマ) 村上弘明(1990年・テレビドラマ) 唐沢寿明(2003年 – 2004年・テレビドラマ) 岡田准一(2019年・テレビドラマ) |
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原作 | 山崎豊子 |
備考 | 同作の主人公の1人 |
同作の主人公。浪速大学医学部医学科卒業、浪速大学大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。浪速大学病院第一外科助教授、後に第一外科教授。身長5尺6寸(約170cm)、筋肉質の体格の人物。
傲慢で上昇志向が強いが、助教授時代から大学での臨床講義を熱心に行い、胃の縫合法である「財前式縫合」[1]を考案するなど、医学者としても情熱を持っていた。だが、教授になった後、縦割り意識に捉われて里見脩二らの忠告に耳を傾けなかったために佐々木庸平を死なせてしまい、医療裁判に巻き込まれる。さらに学術会議会員選挙などの雑事に忙殺される中で医局員を票のための手駒扱いし、裏切った者を容赦なく切り捨てるなど次第に人間味を失っていく。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
財前 五郎の名言
1 最高のときは一度だけじゃない。上り続ける限り毎日が最高とは思えないのか?
2 いくら悩んでみたところで、患者のためになるとは限らないんだよ里見。
3 こうやって椅子があれば腰を下ろしたくなる。立派な椅子ならなおさらだ。
4 君がミスると患者が死ぬぞ。しかし君が死ぬわけじゃない。落ち着くんだ。
5 専門的な言葉を並べて患者に媚をうるより、絶対に大丈夫という強いひと言の方が患者は安心するものだ。
6 僕は判断を誤ることはないよ。
7 頭を下げる・・・つもりはございません。
8 ただ・・・無念だ。
9 里見へ
この手紙をもって、僕の医師としての最後の仕事とする。
まず、僕の病態を解明するために、大河内教授に病理解剖をお願いしたい。
以下に、癌治療についての愚見を述べる。
癌の根治を考える際、第一選択はあくまで手術であるという考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には僕自身の場合がそうであるように、発見した時点で転移や播種をきたした進行症例がしばしば見受けられる。
その場合には、抗癌剤を含む全身治療が必要となるが、残念ながら、未だ満足のいく成果には至っていない。
これからの癌治療の飛躍は、手術以外の治療法の発展にかかっている。
僕は、君がその一翼を担える数少ない医師であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
君には癌治療の発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、癌による死が、この世からなくなることを信じている。
ひいては、僕の屍を病理解剖の後、君の研究材料の一石として役立てて欲しい。
屍は生ける師なり。
なお、自ら癌治療の第一線にある者が早期発見できず、手術不能の癌で死すことを、心より恥じる。
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