1969年から2011年に至るまで長期にわたり独裁政権を維持リビアの元最高指導者。
メディアなどでは「中東の狂犬」と報道され数々の悪行をしてきた印象を伝え、そうしたイメージが根強い印象ですが、一方で石油の利益で地下水を利用した人工大河を造り、砂漠の極貧国を豊かにするなどリビアの国のためにされた多くの功績も事実としてあります。
そんな「カダフィ大佐」の、心に響く名言(迷言)や格言などをピックアップしてお届けします。
画像参照 Wikipedia
カダフィ大佐のプロフィール
生年月日 | 1942年6月7日 |
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国籍 | リビア国 |
出身地 | イタリア領リビア、スルト |
死没 | 2011年10月20日(69歳没) |
ムアンマル・アル=カッザーフィー(アラビア語: معمر أبو منيار القذافي, muʿammar ʾabū minyār al-qaḏḏāfī, 1942年6月7日[1] – 2011年10月20日)は、リビアの軍人、革命家、政治家で、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国(社会主義人民リビア・アラブ国)の元首。称号は「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の最高指導者及び革命指導者」(زعيم وقائد الثورة في ليبيا, zaʿīm wa-qāʾid al-ṯawrah fī lībiyā, ザイーム・ワ=カーイド・ッ=サウラ・フィー・リービヤー)、「敬愛なる指導者」(الأخ القائد, al-aḫ al-qāʾid, アル=アフ・ル=カーイド)。
1969年のリビア革命によって政権を獲得後、2011年に至るまで長期にわたり独裁政権を維持したが、2011年リビア内戦によって政権は崩壊、自身も反カッザーフィー派部隊によって殺害された。
日本では一般にカダフィ大佐という呼称で知られている。1993年から2009年まで1リビア・ディナール紙幣や50ディナール紙幣に肖像が使用されていた。
※参照 Wikipedia
カダフィ大佐 名言 格言 迷言集
1 米国人や西洋がリビアに入国したいと言うのなら、そのときは地獄と血の海になることを知っておくべきだ。イラクよりもひどいことになる。
怖いわ!
2 リビアを作ったのは私だ、そしてリビアを破壊するのも私だ。
ジャイアンか!
3 もし私が大統領であれば辞任しただろうが、そもそも辞める役職がないのだ。
なるほど。
4 新型インフルエンザは細菌兵器として軍事目的で作り出されたもの。
暴言!
5 イスラエルはアラスカに移してしまえ。
イケイケですね。
6 私はもう軍人ではないので『大佐』と呼ばないで欲しい。
日本では絶対大佐のイメージですよね。
7 アラファートがいまだ独身なのは彼が●モだからだ。
有名な暴言ww
8 (FIFAは) 選手の人身売買を行っている国際的なマフィアだ。
言いたい放題www
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