ダンディ坂野(だんでぃ さかの)さんは日本のお笑い芸人・漫談家。
「ゲッツ!」のネタで一世風靡した。
TVで見かける回数は減ってしまったが営業やCMで未だに活躍している。
そんなダンディ坂野さんの心に響く名言や格言などをピックアップしてお届けします。
画僧参照 Twitter
ダンディ坂野のプロフィール
生年月日 | 1967年1月16日 |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 石川県加賀市 |
業種 | お笑い芸人・漫談家 |
@dandsaka | |
Youtube | ダンディ坂野 だんさかch |
ダンディ坂野(ダンディさかの、1967年1月16日 – )は、日本の漫談家、お笑いタレント。本名:坂野 賢一(さかの けんいち)。 石川県加賀市出身。サンミュージックプロダクション所属。血液型はAB型。
田原俊彦のようなアイドルに憧れて高校卒業後に上京を模索したものの、その資金がなかったことから、貯めるために地元で働いた後、26歳になった1993年に上京。年齢的な理由とダウンタウンやウッチャンナンチャンがテレビ番組でアイドルと親しげにしていたのを見て、アイドル路線からお笑い芸人路線に方針転換。プロダクション人力舎のスクールJCAに2期生として入学。漫才コンビ「ラブリン」を結成し、ボケを担当するも、「才能が無い」という理由で留年。一期下の3期生とともに1年間学ぶ。その時の3期生にはアンタッチャブルらがいた。卒業後、同スクールの講師だったブッチャーブラザーズの付き人となる。なお、同期とのジェネレーションギャップを感じていた坂野は、この頃(1996年頃)からピン芸人になることを決める[1]。1996年、大川興業の舞台『すっとこどっこい』でデビュー。そして、テレビ埼玉の番組『パンドラ御殿』でテレビ初出演。同番組内コーナー『探偵物集(ものたかり)』で、松田優作に扮した寺田体育の日とギャグ対決を繰り広げた。でんでんの芸風を受け継いだ漫談メインのスタイルであるため、第二電電とかけた「第二でんでん」が彼のキャッチフレーズだった。2004年8月22日に一般人女性と結婚。2009年7月7日に長女、2014年2月5日に長男が誕生した。
※参照 Wikipedia
ダンディ坂野 名言 格言 迷言集
1 この世界は漫才やコント、トークが圧倒的に面白い以外にも、何かのきっかけで注目を浴びることで売れるという道もある。
僕はそう信じてやってきたようなところもありました。
レジェンド(´・ω・`)
2 基本的に僕の芸人人生は他力本願というか、流れに逆らわないでいたらうまくいったことの方が多いんですよね。
流れに身を任せましょう(/・ω・)/
3 永遠に「黄色を着てゲッツをやる人」を全力でやっていけば、みなさんのニーズに応えていけるんじゃないか。
カッコイイですダンディさん(`・ω・´)
4 現状維持というと簡単に聞こえるかもしれないけど、老いていくなかで現状を維持するためには、毎年少しずつ上を目指さないといけないと思うんです。
なるほどなぁ(´・ω・`)
5 キャラを脱ぐことを、一概にダメとは思いません。
奇抜なことをして売れたとしても、ずっとそれをやり続けるのはしんどいですから。
芸人としてタレントとして、次の展開に進みたいと考えるのは当然ですしね。
ただ、それでも自分が世に出たきっかけを完全に捨ててしまうのではなく、年に何回かでいいからやってほしいなとは思います。
ゲッツも喜んでいるだろうな(ノД`)・゜・。
7 ゲッツ!
これぞダンディ坂野の代名詞!
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