安土桃山時代、あの「豊臣秀吉」に仕えたの武将・大名。
後に、石田三成は「五奉行」となって、豊臣政権の中核を担い、太閤検地、朝鮮出兵などで武功を重ねる。
秀吉死後、西軍を組織し、東軍を組織した徳川家康と関ヶ原で対峙し敗れた。
当ページでは「石田三成」の、心に響く名言や格言・辞世の句などをピックアップしてお届けします。
石田三成のプロフィール
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 永禄3年(1560年) |
死没 | 慶長5年10月1日(1600年11月6日)(41歳没) |
妻 | 正室:皎月院(宇多頼忠娘) |
石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣家家臣。佐和山城主。
豊臣政権の奉行として活動し、五奉行のうちの一人となる。豊臣秀吉の死後、徳川家康打倒のために決起して、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、関ヶ原の戦いにおいて敗れ、京都六条河原で処刑された。
※参照 Wikipedia
石田三成 名言 格言集
1 命を惜しむは、ひとえに我が志を達せんと思うがゆえなり
その1。
2 汝に二心あるを知らざりしは愚かなり。されど、義を捨て人を欺きて、裏切したるは、武将の恥辱、末の世までも語り伝へて笑うべし(お前が裏切るとは思えなかったのは私が馬鹿だった。しかし、道理を捨てて人を騙して裏切ったことは武将として恥だ、後世に笑われてしまうべきだ。)
裏切られた小早川秀秋に言ったとされる言葉。
3 念仏は無用に願おう。わしは行く末を案ずるようなことは少しもしておらぬ。泉下にて太閤殿下にお目通り叶うが楽しみである。
4 筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり
辞世の句。
5 常に奉公人は、主君より取物を遣ひ合せて、残すべからず。残すは盗なり。つかひ過ごして借銭するは愚人なり。
6 大一大万大吉。(一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は大吉になる)
多分一番有名です。
「三成茶」の逸話
次に差し出したのは、やや小さめの茶碗とややぬるめの茶。そして最後に用意したのが一番小さい茶碗と一番熱い茶であり、秀吉は喉の渇きをいやしつつ、熱い茶を楽しませようとする心意気に感動し、彼を家臣とした(『武将感状記』)
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