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上杉景勝 うえすぎ かげかつ 名言 格言集|豊臣政権の五大老の一人で米沢藩の初代藩主が残した心に響く言葉・辞世の句

その他武将など

戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。

また、豊臣政権の五大老の一人で米沢藩の初代藩主でもあった上杉景勝。

当ページでは「上杉景勝」の、心に響く名言や格言などをピックアップしてお届けします。




上杉景勝のプロフィール

生誕 弘治元年11月27日(1556年1月8日)
死没 元和9年3月20日(1623年4月19日)
時代 戦国時代 – 江戸時代前期
正室:武田信玄の娘・菊姫
側室:四辻公遠の娘・桂岩院

上杉 景勝(うえすぎ かげかつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての大名。豊臣政権の五大老の一人。米沢藩の初代藩主。山内上杉家17代目。

上田長尾家出身で、初名は長尾顕景。同じ長尾家出身の叔父・上杉謙信の養子となり、名を上杉景勝と改めた。実子のいない謙信の死後、上杉家の家督相続を争った御館の乱で勝利し、謙信の後継者として上杉家の当主となった。

豊臣秀吉に仕え、豊臣家五大老の1人として、会津藩120万石(「上杉家記」では120万1,200石余、上方の在京領は除く)を領した。秀吉の死後、徳川家康が景勝討伐に向かい関ヶ原の戦いが幕開け、景勝は石田三成ら西軍に付き敗北した。戦後に、徳川家康から上杉家の存続は許されたが米沢藩30万石へ減封となった。

※参照 Wikipedia

 

上杉景勝 名言 格言集

1 迂を以て直と為すと云うことあり,危き道に不意の患あり

【意味】
急がば回れ、というたとえがある。険阻な道を行けば不測の事態が起こる恐れがある

 

2 大将は近きとて危うき道は行かざるものなり。

上と同じような意味合いです。

 

3 人の危うきに乗ずるは、上杉兵法に非ず

 

4 当領内には一人のキリシタンも御座無く候

徳川幕府に言った言葉と言われています。

 

5 武士の家に生まれて先陣を他家と争い、朝から身を粉にして奮戦してきた場をいくら上意とはいえ譲ることはできない

 

6 なかんずく景勝はよき時代に出生し、弓箭を携えて、六十余州を越後一国をもって相支え一戦を遂げ滅亡せしむこと、死後の思い出、景勝にははなはだ不相応に候か。もし又死を出でて一生せしむるにおいては、日域(=日本)無双の英雄たるべきか。死生の面目・歓悦天下の誉れ、人々その羨み巨多たるべきか。

【意味】
景勝のことは心配無用です。私は良き時代に生まれてきました。もはや武田は滅び、私は越後一国で日本の60余州と戦います。もし生き残ることができたなら、私は古今無双の英雄となれるでしょう。また死んでしまったとしても、歴史に名を長く残すこととなるでしょうが、本当に武家に生まれた者として至極果報なことです。

 

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