大友宗麟 おおとも そうりん 名言 格言集|「大友氏」の最盛期を築いたキリシタン大名が残した心に響く言葉・辞世の句

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鎌倉時代から続く名族「大友氏」の最盛期を築いた戦国大名。

一時は九州6か国を支配して版図を拡げましたが、薩摩から北上した島津義久に敗れ、晩年には豊臣秀吉傘下の一大名となった。

当ページでは「大友宗麟」の、心に響く名言や格言などをピックアップしてお届けします。




大友宗麟のプロフィール

【上級者向け】『大友宗麟』なぜキリスト教に改宗し、暗愚な大名と呼ばれるようになったのか【手のひら返し武将列伝】
生誕 享禄3年1月3日(1530年1月31日)
もしくは同年5月4日(5月30日)
死没 天正15年5月23日(1587年6月28日)
時代 戦国時代 – 安土桃山時代
正室:一色義清娘・宝岸寺殿
継室:奈多夫人(奈多鑑基娘)
側室:一萬田夫人(一萬田親実娘)など7人。

大友 義鎮(おおとも よししげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。キリシタン大名。大友氏21代当主。宗麟(そうりん)の法号で知られている。洗礼名はドン・フランシスコ。

弟に大内義長、塩市丸、親貞など。子に義統(吉統)、親家、親盛など。

中国明朝への遣明船の派遣をはじめ、琉球、カンボジア、ポルトガルを相手とした海外貿易による経済力、優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏をはじめとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国時代の北九州東部を平定した。

当初は禅宗に帰依していたが、後にキリスト教への関心を強め、ついに自ら洗礼を受けた。最盛期には九州6か国を支配して版図を拡げた。しかし、薩摩から北上した島津義久に敗れ、晩年には豊臣秀吉傘下の一大名となった。

大友氏は鎌倉時代から南北朝時代にかけて、少弐氏・島津氏と共に九州の幕府御家人衆の束ね役として権勢を振るい、室町時代に入ってからは大内氏の九州進出に対し、少弐氏と結び大内氏と抗争していた。大友氏は豊後国と筑後国の守護に幕府より代々補任される、いわゆる守護大名であった。

父は20代当主・大友義鑑。母は公家の坊城氏の娘とする説がある。

※参照 Wikipedia

 

大友宗麟 名言 格言集

1 人生における敗北・苦しみは試練であり不幸ではない。灼熱の炎に磨かれる黄金のように試練によってこそ人は高められる。

人生楽ありゃ苦もあるさっていう事ですね。

 

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