本名ジャン=ミシェル・バスキア。
グラフィティ・アートをモチーフにした作品で知られているアメリカ・ブルックリン出身の画家。
17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにグラフィティアートを描き始め、その後彼の描いたユニークな絵は徐々に評価されニューヨークで個展が開かれるまでになった。
1988年8月12日にオーバードーズにより27才という若さでこの世を去る。
世界各国にバスキアファンが多く、彼が描いた絵画は高額で売買されており、元ZOZOTOWN社長の前澤友作氏も123億円でバスキアの絵画を購入し話題となった。
その後日本でも2019年バスキア展が開催された。
そんな若くしてこのを世去った20世紀における最も重要なアメリカ人アーティスト、バスキアの心に響く名言や格言などをピックアップしてお届けします。
バスキアのプロフィール
青いバスキアと一緒に暮らしてみました。約2ヶ月の短い同棲生活でしたが、癒され圧倒され毎日毎日違う発見がありました。9月21日からの『バスキア展』に出展されるため、今日旅立っていきましたが、展覧会での活躍を心から願っています。いなくなるとめちゃくちゃ寂しい😭https://t.co/zpIn4sP8pf pic.twitter.com/f4ebKsq6nO
— 前澤友作┃お金贈りおじさん (@yousuck2020) September 6, 2019
バスキア展でも展示された前澤友作氏が123億円で購入した「Untitled」と呼ばれているバスキアの絵画。
本名 | ジャン=ミシェル・バスキア |
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生年月日 | 1960年12月22日 |
没年月日 | 1988年8月12日(27才) |
国籍 | アメリカ |
出身地 | ニューヨーク市ブルックリン |
職業 | 画家・グラフィティアーティスト |
ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat、1960年12月22日 – 1988年8月12日)はニューヨーク市ブルックリンで生まれたアメリカの画家。グラフィティ・アートをモチーフにした作品で知られる。苗字の発音はフランス語の名前なので本来は語尾の t は発音されない。ハイチ系アメリカ人。
プエルトリコ系移民の母親とハイチ系移民の父親の間に生まれ、幼い頃から絵を描き、芸術的な活動をするように母親から奨励されていた。17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始める。活動を続けるうちに高校を中退したバスキアは、Tシャツやポストカードを売りながら生計を立てていた。徐々に彼の描いたスプレーペインティングは評価され、キース・ヘリング、バーバラ・クルーガーの助力でニューヨークで個展を開くようになった。また、絵の中に描かれる王冠は彼のトレードマークとなっている。一時結成していたノイズバンド「GRAY」の名は交通事故のさい母親が病室に持ち込んだ本が由来している。 1983年にはアンディ・ウォーホルと知り合い、作品を共同制作するようにもなる。1987年のウォーホルの死まで2人の互いに刺激しあう関係は続いたが、バスキアは徐々にヘロインなどの薬物依存症に陥り、妄想癖が見られるようになった。そしてウォーホルの死によりさらに孤独を深めると共に、ますますヘロインに溺れていった。 1988年、ヘロインのオーバードースにより27歳で死去。
※参照 Wikipedia
バスキア 名言 格言集
1 俺は芸術評論家のいうことに耳を傾けたりしない。 アートがなんであるかを見出すために評論家が必要な奴なんて俺は一人も知らない。
痺れます!かっこよすぎます!
2 芸術とは言葉で伝えきれない「何か」を伝える術。
この言葉に「アートとは?」の問いに対する全てが集約されている気がします。
3 人間はもっと精神的に生きるべきだろ。
そうします。友人にも伝えます!
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