「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、NPBで活躍されたのちMLBに挑戦。
まだその頃は、日本人のメジャーリーガーは村上雅則さん以来32シーズンぶり2人目で、無名の存在だった。
蓋を開けてみれば、シーズン通算で13勝6敗、グレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位の防御率2.54、236奪三振、リーグ最多の3完封を記録して初の最多奪三振のタイトルを獲得し、チームの7年ぶりの地区優勝に貢献。
日米で『NOMOマニア』という言葉が生まれる程の人気を誇った「野茂英雄」さんの、心に響く名言や格言などをピックアップしてお届けします。
野茂英雄のプロフィール
生年月日 | 1968年8月31日 |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市港区 |
選手歴 | 大阪府立成城工業高等学校 新日本製鐵堺 近鉄バファローズ (1990 – 1994) ロサンゼルス・ドジャース (1995 – 1998) ニューヨーク・メッツ (1998) ミルウォーキー・ブルワーズ (1999) デトロイト・タイガース (2000) ボストン・レッドソックス (2001) ロサンゼルス・ドジャース (2002 – 2004) タンパベイ・デビルレイズ (2005) カンザスシティ・ロイヤルズ (2008) |
野茂 英雄(のも ひでお、1968年〈昭和43年〉8月31日 – )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任。
「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、NPBとMLBで活躍した。
NPB時代はパリーグ初の沢村栄治賞を受賞(大阪近鉄バファローズが存在した時代に受賞した唯一の近鉄出身投手でもある)、平成初の投手三冠王を達成、パ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得している。
MLB時代にはノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といういずれもアジア人史上初の偉業を成し遂げている。
日米通算最多奪三振(3122)記録保持者。ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。
長男は北海道日本ハムファイターズの球団通訳の野茂貴裕。
参照 Wikipedia
野茂英雄 名言 格言 迷言集
1 挑戦すれば、成功もあれば失敗もあります。でも挑戦せずして成功はありません。
何事もチャレンジ精神。
2 自分が抱いたメジャー・リーグ挑戦という夢に対してそれがただの絵空事だなんて否定的に思ったことは一度もありません。
今の日本人メジャーリーガーの活躍は野茂さんあってのもの。
3 メジャーリーガーになるんだという強い意志さえ持っていれば、いつかはきっとかなう夢だと信じてやってきました。
努力は必ず結ばれるんですかね。
4 そのチャンスを生かすために日々努力をしておくことが大切。
事前準備の大切さ。
5 何度も言いますが挑戦しないことには始まらないのです。
シンプルな言葉ですが非常に大事な事を仰っています。
6 チャンスの少ない時代だからこそ、少ないチャンスを生かしてもらいたい。
なるほど。
7 100勝くらいで満足するためにメジャーに来たわけではない。いくらでも100勝くらいの選手はいる。
かっこいいなぁ。
8 なれるとかなれないとか考えていたって一歩も前には進めません。やるかやらないか、それしかないのですから。
口の前に体を動かせと。
9 若いうちは無駄が栄養ですね。
無駄ばかりしてました!
10 やっぱりスポーツ選手は世界に出なきゃいけない、とつくづく思いました。行かなきゃ何もわからないんです。
行った人にしか分からない。
11 花があるうちに辞めるんじゃなくて、落ちぶれてボロボロになっても投げ続けようと決めました。
言い言葉。
12 ドジャースの一員となった、この日は生涯忘れません。
ここから全ては始まった。
13 今、芽の出ていない人も諦める必要はない。
どこで化けるか分かりませんよね。
14 チャレンジしないまま残りの人生を後悔して過ごしたくない。
その通り。
15 小さい頃から早い球を投げたいという事を思っていたら、今の(投球)フォームになった。
唯一無二。
16 自分が実際に体験し、見聞し、成功したり失敗したりしたことが、自分や後に続く若い選手への財産になる。
ありがたい事です。
17 僕は練習は嫌いですから、手を抜いてますよ。ただ、絶対にはずせない練習というのがあって、それはやります。できるようになるまで反復してやる。それだけです。
参考になります。
18 日本の野球をクビになったからといって諦める必要はない。アメリカに来たって野球はやれる。
その通り。
19 思い切り振れ、思い切り投げろ。
御意。
関連人物の名言集
コメント