源頼朝は、鎌倉幕府の初代将軍。
抜群のリーダーシップで源氏・東国御家人をひとつにまとめ上げ、「平家滅亡」を成し遂げる。
当ページでは「源頼朝」の、心に響く名言や格言などをピックアップしてお届けします。
源頼朝のプロフィール
生誕 | 久安3年4月8日(ユリウス暦1147年5月9日、先発グレゴリオ暦1147年5月16日) |
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死没 | 建久10年1月13日(ユリウス暦1199年2月9日、先発グレゴリオ暦1199年2月16日) 享年53(満51歳没) |
時代 | 平安時代末期 – 鎌倉時代前期 |
妻 | 前妻?:八重姫、正室:北条政子 妾:亀の前、大進局、利根局? |
源 頼朝(みなもと の よりとも、旧字体:源 賴朝)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の武将、政治家。鎌倉幕府の初代征夷大将軍。
清和源氏の一流たる河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ配流される。伊豆で以仁王の令旨を受けると北条時政、北条義時などの坂東武士らと平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平家を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼす。建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。
これにより、朝廷と同様に京都を中心に権勢を誇った平氏政権とは異なる、東国に独立した武家政権が開かれ、後に鎌倉幕府と呼ばれた。頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は、北条義時の嫡流(得宗家)が鎌倉幕府の支配者となった。
※参照 Wikipedia
源頼朝 名言 格言集
1 大事を思ひはからふ者、物とがめをせず、事ならぬことを事になさず。
【意味】
大きな野望をかなえようと考えている者は、こまかなことを咎めることをせず、ささいなことを取り立てて問題にしないのである。
2 今度は天下の草創なり、もっとも淵源を究め行はるべく候。
【意味】
今は天下が始まろうとしている次期であり、
それがなぜ必要とされているのかの根本的な理由を、深く突き詰めて考えるべきである。
(京の九条兼実に宛てた手紙から)
3 身を重くし心を長くして、あだ疎かに振舞はず、小敵なりとも侮る心なくて、
物騒がしからず計らひ、たばかりをするが、能き事にてあるぞ。
【意味】
自分の身を重々しく、気長に心を保つようにし、軽率な行動はすることなく、力のなさそうな的を見ても侮らず、冷静にじっくりと計略を練るようにしなさい。
4 当時は国の者の心を破らぬ様なる事こそ、吉事にてあらんずれ。
【意味】
合戦の時は、諸国の住民の気持ちを大切にする必要がある。
5 偽りの ことの葉しげき世にしあれば 思といふも誠ならめや
【意味】
偽り事の多い世の中であるから、「あなたを信頼している」と言ってくれたとしても、それは本当に誠であるのであろうか。
6 出でていなば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな
辞世の句
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